出版社内容情報
死の商人と呼ばれた男の真実とは!? 大成建設、帝国ホテルなどを設立し、一代で財閥を築き上げた大倉喜八郎の生涯を熱く描く長編小説。
江上剛[エガミゴウ]
作家
内容説明
「死の商人」「戦争屋」と世間に罵られながらも、一代で財閥を築き上げた男がいた―新潟から江戸に出て、乾物屋を営んでいた大倉喜八郎は、幕末の不穏な空気をいち早く感じとり、鉄砲商へと転身する。コネもカネもない喜八郎は、どんな仕事も体当たりでこなしていくが…。戦前、排日運動が高まる中にあっても、蒋介石、張作霖、段祺瑞ら中国の要人からその死を悼まれた男の生涯を描いた、感動の長編小説。
著者等紹介
江上剛[エガミゴウ]
1954年、兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。77年、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。人事、広報等を経て、築地支店長時代の2002年に『非情銀行』で作家デビュー。03年に同行を退職し、執筆生活に入る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
鉄之助
373
武器の販売から財を成し「死の商人」とも言われた、大倉喜八郎の生涯をダイナミックに描く。個人的には、幕末の津軽藩に荒波を超えて大量の銃を売った事実に大いに興味が引かれた。中国の革命家・孫文を支援したり、学校設立(現・東京経済大学)、帝国劇場の発起人を務めたり、ただの商人ではなかった。彼が興した大倉組が、現在の大成建設。オリンピック主会場の新・国立競技場もこの会社が作った。国の屋台骨を作った一人、に違いない。さすが、経済小説に強い江上剛、資料を丁寧に掘り下げ面白かった。2025/01/05
mapion
273
明治時代に台湾、清国まで事業進出した大倉喜八郎。のちの大成建設、札幌ビール他多数の企業を起こし、大倉商業学校(現東京経済大学)など教育事業にも貢献した。越後の田舎から上京し、飛躍したのは黒船が来て世情不安定ななか鉄砲の販売を始めたとき。台湾出兵時には武器だけでなく輜重も担い、現地での土木建築も行った。武器商人、戦争で太る大倉という芳しからぬ評価はこんなところから。政情不安な清国に、国共合作以前に多大の投資をし、大きなリスクを抱える選択をした事業家は彼のみ。その点では明治時代にあっても破格の事業家だった。2025/10/08
mura_ユル活動
123
明治とともに歩んできた、大倉組の喜八郎。商売とあらば持ち前の「くそ度胸」発揮、まさに怪物。世情は長州征伐が行われている時期。鉄砲商人の誕生。上野の彰義隊に呼ばれ、なぜ武器を売らないのか問われた時、緊迫したムードだった。武士と対等の西洋の商人の身分。西南戦争までの内容は司馬さんの小説で知識はあった。その後、孫文等の歴史あり理解した。数々の中国投資。「毀誉褒貶(きよほうへん)」を気にしないこと。相手のことも考えて商いをする姿勢。共に栄えること。→続く2019/05/26
小説を最初に書いた人にありがとう
105
実在の人物の話は迫力が違う。こんな傑物が居たことを知らなかったので刺激を受けた。大倉喜八郎、幕末の英雄たちが割拠する江戸にこんな商人が居たとは驚かされる。坂本龍馬、高杉晋作、そして大倉喜八郎も、若くして世の中を動かし、150年も前に外国人と互角に渡り合う。ほんとにすごい。現代の自分がこれほどにドメスティックなことが恥ずかしい。スケールの大きい人の話を読むと少しだけ勇気が出る。2017/08/13
あすなろ@no book, no life.
103
新興政商であった大倉喜八郎。新潟出から一代で今の大成建設等を築いた。なお、新興政商なぞという言葉はない筈。造語である。でも、僕は読了時一番にこの造語が頭を過ぎったのである。三菱等とは違う様。死の商人と言われながらも己の実金による商いを続け、果ては孫文等も登場し、中国への投資を行う迄の様。勉強になった複数の面もあり。江上氏は後書きでこう記している。私はやや捻くれている。忘れられたり低い評価に甘んじている人物に共感を覚えるらしい。いえ、だからこそ学べるものが我々読者にあるのです。是非またお願い致します。2021/05/02
-
- 和書
- 環 フィクションの楽しみ




