出版社内容情報
結婚、家族、国家…心が求める絆の意味と限界。
結婚、家族、国家……人間の開かれた身体・情緒は他者との絆を求めていく。そのとき「個の自由」は? 社会における「私」の存在の意味。
「個の自由」が大手を振るう現代社会。愛のかたちは多様化し、家族のしがらみは否定される。
▼それでも私たちはつながりを求める。たとえ嫉妬や憎悪が渦巻こうとも、この不安な「私」は他者との身体的・情緒的な関係なくしては保てない。だからこそ人は言葉を交わし、心を通わせることで、世界と深くかかわっていこうとするのだ。
▼事実婚、夫婦別姓などの動きを視野に入れながら、個人および社会にとっての結婚・家族、その延長にある国家というまとまりの意義を問い直す。存在論、言語論の可能性を探る哲学的挑戦。
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[内容例]「心」とはそもそも何か/「私」意識を支えるのは他者との情緒的なつながり/隠してもつい出てしまう情緒/嫌悪と憎悪と嫉妬はなぜ生まれるのか/性愛感情とはそもそも不安である/「入籍」のもつ意義/なぜ近親相姦はタブーなのか/「個と共同」「私と公」という対立構図の甘さ/家族解体の先に待つもの/希薄になった国家意識の功罪
●第1章 「情緒と身体」、この複雑なる関係
●第2章 「ここにいる私」による言語論へ
●第3章 情緒的なつながりの可能性と限界
●第4章 なぜ私たちは結婚するのか
●第5章 家族は解体しようとしているのか
●第6章 国家というまとまりをどう考えるか
内容説明
「個の自由」が大手を振るう現代社会。愛のかたちは多様化し、家族のしがらみは否定される。それでも私たちはつながりを求める。たとえ嫉妬や憎悪が渦巻こうとも、この不安な「私」は他者との身体的・情緒的な関係なくしては保てない。だからこそ人は言葉を交わし、心を通わせることで、世界と深くかかわっていこうとするのだ。事実婚、夫婦別姓などの動きを視野に入れながら、個人および社会にとっての結婚・家族、その延長にある国家というまとまりの意義を問い直す。存在論、言語論の可能性を探る哲学的挑戦。
目次
第1章 「情緒と身体」、この複雑なる関係
第2章 「ここにいる私」による言語論へ
第3章 情緒的なつながりの可能性と限界
第4章 なぜ私たちは結婚するのか
第5章 家族は解体しようとしているのか
第6章 国家というまとまりをどう考えるか
著者等紹介
小浜逸郎[コハマイツオ]
1947年横浜市生まれ。横浜国立大学工学部卒業。批評家。家族論、教育論、思想、哲学など幅広く批評活動を展開。現在、国士舘大学客員教授
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感想・レビュー
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Naota_t
みい⇔みさまる@この世の悪であれ
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絵具巻