出版社内容情報
中間子理論はどれほど画期的な発見だったのか? 日本人初のノーベル賞受賞者の過酷なる闘いを描き、その研究の科学史的意味を問い直す。
1949年、42歳で日本人初のノーベル賞受賞に輝いた湯川秀樹。それは、「中間子論」の提唱から15年後のことだった――。
▼19世紀末の物理学界は、欧米の研究者たちが原子の構造を次々と解明してゆき、「大発見の連鎖」とも言うべき熱狂時代であった。
▼20世紀に入り、「陽子」「中性子」の存在が明らかになりつつも、それらを「結びつける力」だけが当時最大の「謎」として残った。国内で独自の研究を貫いていた20代の秀樹は、その「謎」に真正面から挑む。文字通り寝ても覚めても追究し続けた結果、あるヒントをきっかけに、遂に「新粒子」理論に辿りつく。
▼日々確信を強めてゆく秀樹に対し、欧米の学会は無反応。やがて外界は戦争へ突入してゆく。だが、時代は着実に彼の「予言」の通りに導かれてゆくことになる。
▼ノーベル賞受賞にいたるまでのその過酷な半生ドラマを通して、中間子論の真の価値を明らかにした、湯川秀樹ノンフィクションの決定版。
●プロローグ 戦乱と研究
●第1章 大発見の連鎖――19世紀末
●第2章 原子の構造に迫る――1903年~1913年
●第3章 “自分の世界”への静かなる挑戦――1914年~1932年
●第4章 新しい粒子を求めて――1932年~1934年
●第5章 国際舞台での苦闘――1934年~1939年
●第6章 日本人初のノーベル賞受賞――1939年~1949年
内容説明
一九四九年、四十二歳で日本人初のノーベル賞受賞に輝いた湯川秀樹。それは、中間子論の提唱から十五年後のことだった―。欧米の研究者たちが原子の構造を次々と解明してゆく物理学の熱狂時代、二十代の秀樹は当時最大の「謎」に真正面から挑み、「新粒子」理論に辿りつく。当初、学会では無視され、外界は戦争へ突入してゆくが、時代は着実に彼の「予言」に導かれてゆくことになる。その半生のドラマを通して、中間子論の真の価値を明らかにした、湯川秀樹ノンフィクションの決定版。
目次
プロローグ 戦乱と研究
第1章 大発見の連鎖―十九世紀末
第2章 原子の構造に迫る―一九〇三年~一九一三年
第3章 “自分の世界”への静かなる挑戦―一九一四年~一九三二年
第4章 新しい粒子を求めて―一九三二年~一九三四年
第5章 国際舞台での苦闘―一九三四年~一九三九年
第6章 日本人初のノーベル賞受賞―一九三九年~一九四九年
著者等紹介
中野不二男[ナカノフジオ]
1950年、新潟市生まれ。日本大学農獣医学部中退後、ウィーンの通信社を経て78年に渡豪。先住民アボリジニーの調査研究および執筆活動に入る。帰国後、84年に『カウラの突撃ラッパ』(文芸春秋)で第11回日本ノンフィクション賞を、90年には『レザー・メス神の指先』(新潮社)で第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。医学、科学、最先端技術等の今日的課題に果敢に取り組んでいる。現在は、宇宙開発委員会専門委員
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