出版社内容情報
昭和9年から18年…満洲の広野を駆け抜け、8年4か月で消え去った幻の超特急あじあ号とは何だったのか。当時世界一流の列車をつくりあげた技術者達の活躍、巨大企業満鉄の真の姿他、「あじあ」と満鉄の知られざる歴史秘話
内容説明
特急「あじあ」は、いかにして生まれたか―パシナ設計主任・吉野信太郎をはじめ、これまでほとんど語られなかった若手技術者たちの開発秘話を満載。伝説の名機関車の真実の姿に迫る。
目次
満鉄機関車の歴史―コピーから自主製造へ
満鉄の海外留学制度
南満工専と旅順工大
日本の超特急「燕」
始動した超特急計画
世界最大級機関車パシナ
客車の設計と空気調整装置
「あじあ」の運転開始を前に
「あじあ」出発、進行
頻発した初期故障
哈爾濱まで延長運転
「あじあ」の終焉
著者等紹介
天野博之[アマノヒロユキ]
1935年11月、大連市で生まれる。42年、撫順市永安在満国民学校に入学、43年2学期から吉林市江北在満国民学校に転校、46年3月に撫順に戻り、47年7月に帰国。東京教育大学文学部で日本歴史を専攻。59年、小学館入社、主として歴史分野の書籍を編集。95年11月、退社。現在は満鉄会常任理事(弘報担当)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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メルセ・ひすい
2
昭和9年~18年ー僅か8年四カ月…満州は壮大な近代化の実験場。今の赤い中国のような模倣技術だったのか? パシナ設計とは? 英国産業連盟視察団はワンダフルと言ったとか? しかし、日本人は「芋虫」「毒マスク被り…」という名前を付け、それが定着した。 満洲の広野を駆け抜け、8年4か月で消え去った幻の超特急あじあ号とは何だったのか。当時世界一流の列車をつくりあげた技術者たちの活躍、巨大企業満鉄の真の姿他、「あじあ」と満鉄の知られざる歴史秘話。2012/12/14
takao
1
8年4か月運転された、東洋一速い、満鉄の超特急列車2017/08/30
kyarafuki
0
南満州鉄道の特急あじあについて、資料を元にした誕生から終焉までの話。著者が満州出身であじあ乗車経験がある。満鉄の話(留学制度など)も語られている。 終焉の頃の話がもう少し詳しく読みたかったけれど、資料やエピソードもあまり残っていないほどの急な運転休止・情勢だったのだろうなと。 2016/01/12
むっち
0
古い回想録を元にした文書は結構退屈なところもありましたが、鉄道好きの人は違う読み方されるのでしょうね。私は、鉄道好きとは違う読み方になったかもしれないけど、けっこう面白かったです。「特急あじあ」は欧米を追い越したと戦前は宣伝されていたようですが、その内実は、文字とおり突貫作業の製造で初期故障も多数。初の全車冷房完備というのも、実はまゆつばだった、そして関東軍(実質満州を支配していた日本軍)の貨物優先政策で消え去ってしまった特急機関車。でも戦前、すでにこれだけの技術があったというのはすごい。改めて欧米による2013/01/03
おぎん
0
たんたんと事実を重ねた記述、もう少し政治情勢とか絡めた内容だと楽しめたかも、蒸気機関車の最終進化形態に近いのかな?? 戦争で運休になりそのまま消えていったというのはさみしい。2012/11/30