出版社内容情報
悲劇として語られたビザンツ帝国滅亡の真相とは。国際政治の複雑な潮流に翻弄された国の最期を最新の研究成果から描く。
【著者紹介】
ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校教授。
内容説明
西の「ラテン人」諸国と東のオスマン・トルコのはざまで国際政治に翻弄されたその最期を、コンスタンティノープル陥落の百年前から帝国滅亡後まで、最新研究に基づいて描く。
目次
第1章 コンスタンティノープルの秋
第2章 幻影の帝国
第3章 策を弄する
第4章 断崖に向かって
第5章 獅子の尾をよじる
第6章 公会議と十字軍
第7章 ムラトからメフメトへ
第8章 復讐の女神
第9章 波止場にて
第10章 東か西か
著者等紹介
ハリス,ジョナサン[ハリス,ジョナサン][Harris,Jonathan]
ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校ヘレニック・インスティテュート教授(ビザンツ史専攻)。ビザンツと西欧の関係、とくに十字軍、イタリア・ルネサンス、1453年以降のギリシア人ディアスポラを専門とする
井上浩一[イノウエコウイチ]
京都大学文学部卒、同大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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まーくん
58
一千年の命脈を保ったビザンツ帝国も既に長い衰退の道を歩んでいたが、その「最期」もまた長く、苦難に満ちていた。小アジアに興ったイスラム勢力・オスマントルコは、欧州側に根拠を移しコンスタンティノープルを包囲。その間、数十年にもわたりビザンツはオスマンの宗主権を受け入れ、抵抗は秘かな陰謀に限られた。内乱や裏切りに明け暮れた末、期待したキリスト教世界の支援も得られず。1453年、帝国の都は若きスルタン、メフメト二世により陥落。最後の皇帝コンスタンティノス11世は戦塵に消える。年代記が伝える英雄的抵抗はなかった。2019/06/09
Kouro-hou
12
コンスタンティノープルがオスマンに包囲された。末期東ローマ帝国に金も兵力も無く、城壁が立派で地の利はあったが、救援の十字軍を呼ぼうにも教皇と仲が悪くて宗派も違う。どう見ても詰みです、ありがとうございました、の土俵際で約50年も頑張ってしまう。最新の調査や資料から見るローマ帝国の最期には、後世の創作プロパガンダであった皇帝最後の感動の演説なんか無かったし、この期に及んでも敵味方共に思惑の不一致で国はまとまらない。ロマンなんか無かったと訳者は書くが、そのセコさや小ささもまた生きる人間のロマンではないだろうか。2014/08/25
杞人
6
コンスタンティノープルの防御力と西欧の救援、それに亡命オスマン皇族の3つのカードを武器に、その場しのぎを繰り返しつつオスマン圧力下を延命してきた末期ビザンツ帝国、その滅亡の直接的な原因は、権力基盤の弱体な若いスルタンの足元を見て、なりふり構わぬ本気を出させたことであり、それまで何度も繰り返されてきた懲罰的な包囲戦とはそこに質的な差があった。ビザンツ側にたかをくくった認識の甘さがあったことは事実だろう。そこでは「あの街を下さい」と言う征服帝も、敵軍に死地を求める最後の皇帝も背景に遠のく。2013/05/20
Mana
5
一千年の方では取り上げてる時代が幅広いので帝国の最期もさらりとしたものだったけど、こちらはその最後の時代に的を絞っているのでとても詳しく細かい。おかげでいくつか印象が改まった。ビザンツ帝国がオスマン帝国に負けるのは時間の問題なんだからいっそ自分からさったと降伏しておけばあんな掠奪の憂き目に合わなくて済んだんじゃない方思ってたけど、そこまで敗北が確定的でもなかった。まあ時間の問題ではそれでもあったと思うけど、うまくやれば滅亡はまだもう少し引き延ばせたんだなとか、そもそも降伏が論外な当時の帝国の心理とか。2020/08/09
MUNEKAZ
4
これはおもしろかった本。多くの人物・用語が登場するが、事前にビザンツ帝国に関する本を読んでいたので、言葉でつっかえることなく一気に読めた。たとえ危機的状況が迫っているとしても、多くの人は状況が変わらないと考えて目先の利益を追求するし、同胞と争い続けるということがよくわかる。2016/02/27