出版社内容情報
スピノザ、ニーチェ、カフカ、ゴダール……。その系譜上にサミュエル・ベケットがつらなるとき、〈消尽したもの〉という新しい哲学概念がかたちづくられる。ベケットのテレビ放送用シナリオ4作品「クワッド」、「……雲のように……」、「幽霊トリオ」、「夜と霧」をもとにドゥルーズ待望のベケット論。
内容説明
スピノザ、ニーチェ、カフカ、ゴダール…。その線の上にサミュエル・ベケットがつらなるとき、〈消尽したもの〉という新しい哲学概念がかたちづくられる。本書をもって、ベケットのテレビ放送用シナリオ4作品とドゥルーズ待望のベケット論、すなわち演劇と思想の最先端がスリリングに邂逅する。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
zirou1984
39
晩年のドゥルーズによるベケット論に、幾つかのTV用作品を収録したもの。消尽したもの―それは単に使い果たされた状態を指すのではない。そこには存在しない、言葉の射程の可能性すら酷使し尽くし、言葉ごと周囲の空間や想像力を削り取る様な、ある種の真空地帯を作り出すことにある。全て奪いつくされたかの様な―それでも想像力は決して奪いつくされることはないのだと証明するかのような、最果ての表現は嫌が応にも私たちの想像力を飢餓状態に追い込むことで、逆説的に喚起させるのだ。言葉は消尽されても、想像力はこれ程までに残されている。2014/06/15
魚京童!
10
それは、いま。2018/10/06
gu
7
難しくてわからない。けど面白い。「消尽する」、可能性を尽きさせるという概念がとてつもなく。昔ベケットを読んでみて気になっていたこと(ある動作をただ「やってみる」こと、可能な組み合わせを網羅するように)を言語化してもらえた気がする。2020/04/29
ひばりん
5
ドゥルーズによるベケット論と、ベケットの作品4編を収録。/「消尽」は「可能性の消滅態」と定義され、単に可能性が実現されない「疲労」とは区別される。消尽には少なくとも「網羅」「枯渇」「減衰」「散逸」の4類型が挙げられる。/読解にあたっては「通常の芸術は消尽されない」という前提を抑えると良い。制作者も消費者も、作品を完全に実現したり理解できたと思うことはない。しかしベケットの作品は違う、とドゥルーズは言いたいのだ。/R.クラウスの『オリジナリティと反復』もモダニズム論の文脈で、ベケットを同様に理解している。2021/02/14
roughfractus02
5
目的も可能性もない。モナドの結合法が予定調和から乖離した状態を哲学者は水を汲み尽した井戸に譬えた。一方作者はそれをテレビに映し出す。固定カメラは俯瞰し、四角い舞台から斜めに位置する視聴者は、画面を走る電子さながらの人物たちが規則的に動き回るのを見る(「クワッド」)。ベートーヴェン『幽霊』、シューベルト『死と乙女』が流れる中、人物と死の境界は曖昧になり(「幽霊トリオ」「夜と夢」)、画面を見る者は現われ消える女の顔が夢想か幽霊か区別できない、目的と可能性を持つ主体でないがゆえに(「・・・雲のように・・・」)。2017/07/31