出版社内容情報
●2017年4月に連載された大橋洋治・全日空相談役の「私の履歴書」を単行本化。
●1964年、航空会社として後発の全日空(ANA)に入社して以来55年。国際線への進出、そしてアジアを代表する航空会社となることを目指し、我武者羅に仕事に邁進してきた著者が、同社と日本の航空業界をめぐるできごとを述懐する。
●1940年、中国・満州(黒竜江省東北部)の桂木斯(ジャムス)市に生まれ。戦後の混乱期に、命からがら母親とともに中国から日本に引き揚げてきた。慶應義塾大学に入学して石川忠雄教授のもとで中国について学び、中国に深く関わってきた岡崎嘉平太・全日空社長の知己を得て、全日空に入社する。
●入社2年後には全日空羽田沖墜落事故が起き、悲惨な現場を経験。中堅として活躍していたときにロッキード事件に遭遇し、上司が事件に巻き込まれていくのを間近に目にする。事件の余波が続くなか、全日空は成田空港開港を機に国際線就航を目指す。著者はそのための労使交渉を現場で仕切り、汗を流した。ニューヨーク支店勤務から戻ると、実力者の若狭得治名誉会長と普勝清治社長の対立が表面化し、全日空は世間の注目を浴びることとなる。有名なお家騒動の舞台裏は、興味深い読み物になっている。
●好業績のなか、著者は2001年春に社長に就任。しかし、同年9月にアメリカで同時多発テロが発生し、世界の旅客市場は大きく冷え込む。ライバルのJALは日本エアシステムを統合するなど、国内の競争環境も激変し、存亡の危機に直面。基本給5パーセントカットを断行するなど厳しい局面を乗り越え、2003年には復配をはたす。
追いつき追い越す目標だった日本航空の破綻と復活を経て、航空業界は新たな環境にある。著者は、アジアを代表する翼として全日空が「空のシルクロード」をつくる夢を描く。
内容説明
安全で安心で温かく、そして明るい空の旅。そのことだけに心を砕いてきた半生を語る。
目次
第1章 満州からの引き揚げ(満州生まれ;父、母、そして帰国 ほか)
第2章 航空会社に勤める(全日空入社;新人時代 ほか)
第3章 仕事に追われる日々(国際線就航;宣伝販促部長時代 ほか)
第4章 ANAの舵を取る(後継指名;社長就任 ほか)
第5章 夢は追い続けてこそ(死線迷走;B787とMRJ ほか)
著者等紹介
大橋洋治[オオハシヨウジ]
ANAホールディングス相談役。1940年生まれ。1964年慶應義塾大学法学部卒業後、全日本空輸(ANA)に入社。成田空港支店長、ニューヨーク支店長、人事勤労本部長、副社長などを経て2001年に代表取締役社長就任。2013年ANAホールディングス会長、2015年より現職。2008~12年日本経済団体連合会副会長。2012年旭日大綬章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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