内容説明
世界を駆け抜けた疾風怒濤の七十九年、未完の指揮者人生を爽やかに振り返る。
目次
指揮者として
満州生まれ
敗戦の日
リヤカーで運んだピアノ
ラグビー少年
指揮者を志す
桐朋学園音楽科
桐朋学園短大進学
外国で勉強したい
淡路山丸〔ほか〕
著者等紹介
小澤征爾[オザワセイジ]
1935年9月1日生まれ。1951年4月、成城学園高校に入学。1952年桐朋女子高校音楽科に第一期生として入学。1955年桐朋学園短期大学に入学。1957年桐朋学園短期大学留年。1960年フランス国立放送管弦楽団を指揮し、パリ・デビュー。1961年2月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を初めて指揮。以後、国際的指揮者として活躍。2010年1月、食道全摘出手術を受ける。2014年5月、新日本フィルでバルトーク『弦楽のためのディヴェルティメント』とベートーヴェン『レオノーレ』序曲第三番、水戸室内管でベートーヴェンの交響曲第七番を指揮(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
いたろう
45
日経新聞「私の履歴書」より。日本が誇る世界のマエストロ、小澤征爾。若い頃の逸話が非常に興味深いが、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した時の話は、20代の頃の著書「ボクの音楽武者修行」の方が詳しいので、そちらを読むべき。もともとピアニストを目指していたのに、ラグビーで指を骨折して指揮者に転向したということは、今回初めて知った。2014/09/03
Y
39
日本に帰ろうか迷っていた小澤さんの気持ちを変えるきっかけとなった井上靖さんの言葉がすごく印象に残る。小澤さんは苦境に陥ろうとも、その度に自分を支えてくれる人に出会えていた。きっと小澤さんが特別幸運に恵まれているのではなく、与えられたチャンスを真正面からチャンスとして認識してものにできるよう努力してきたんだろうと思った。そうした姿勢が成功をつかみ取るためには必要なんだと思った。国内外での立ち位置などの共通項を鑑みても村上春樹と友人なのが頷ける。それにしても面白い人生だった。クラシックへの興味が俄然増した。2015/06/19
Book & Travel
38
先日亡くなった小澤征爾氏の本を読みたくて手に取った。本書は2014年の日経新聞の連載「私の履歴書」をまとめたもの。満州で生まれ、桐朋学園で指揮を学び、世界を飛び回る指揮者となっていく半生が語られ、改めて凄い人だったことがわかる。連載の特性か本人の性格なのかあっさり語られているが、世界に出るまでに相当な苦労と努力があったことが推察される。師の斎藤秀雄、カラヤン、バーンスタインをはじめ、イサム・ノグチ、グールド、井上靖など出会う人物の顔触れが凄い。晩年は若い人の指導や普及活動に注力されていたのも印象的だった。2024/02/29
Isamash
32
小澤征爾2014年出版の自伝記。優れた芸術家の形成にサポートする人間の存在や環境の影響が大きいことを知った。指揮を学んだ斎藤秀雄先生は母方の親戚だったらしい。そして海外に学びに出れたことが大きいが、同級生(後に最初の妻となるピアニスト)の父親の金銭的サポートがあった。あと、カラヤン及びバースタインの弟子になれたことも重要だが、彼自身が積極的に動いたことも覚えておくべきか。「叩けよ、さらば開かれん」を文字通り実践。オペラは苦手だが小澤征爾もそうであったのは初耳。ただ優れた指揮者の本質は自分には未だ分からず。2023/03/03
Nobuko Hashimoto
30
日経新聞「私の履歴書」に加筆修正したもの。疾風怒濤な小澤氏のこれまでをざっと追える本。すごい密度、すごい交友関係。恩師への尊敬の念と、自らも次の世代を育てようと教育活動に力を入れているところに感動。おかげで、我が息子も、小澤征爾音楽塾の青少年無料招待リハ公開で、小澤征爾指揮カルメンをかぶりつきで観ることができ、良かった良かったと大興奮して帰ってきた。初めてのオペラがそれだったおかげで、すっかりオペラ好きになった模様。一流は違うと思った次第。私も小澤氏の公演、聴きに行きたいなあ。2017/09/17