内容説明
今日のわれわれは中国の幻想奇譚をフィクションとして読みがちである。だが、それらはもともと“事実の記録”として書かれ、伝統中国に生きた読者たちもそれを“事実の記録”として読んだ。唐代の知識人は“楽園”にどんな理想を込めたのか。“陰間”からいっとき戻った妻の語りから見える結婚とはいかなるものか。狐や物の怪にできなくなったことからは武人の出世と文人の不遇が透けて見える。神秘や怪異を語っているようで、じつは当時の社会や風俗を記した実録なのである。当時の視点で“唐代伝奇”を読むとなにが見えてくるのか。中国の幻想奇譚をより深く楽しむための読み方指南。
目次
序章 “異記”“雑伝”と“実録”
第1章 君臣たちの楽園
第2章 死んだ妻が語るには
第3章 妻の実家と夫の処世
第4章 柏林の奥にひそむもの
終章 「人虎伝」の系譜が語ること
著者等紹介
高橋文治[タカハシブンジ]
1953年、佐賀県生まれ。京都大学、同大学院で中国語学中国文学を専攻し、追手門学院大学文学部や大阪大学大学院文学研究科等で中国文学を講じた。現在、大阪大学名誉教授。中国文明論の構築を遠い目標にして、華北で生まれた隋・唐・宋・金・元期の戯曲小説等文学資料を、主に社会史的な観点から読んでいる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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さとうしん
16
序章で中国では古来文字による記録は〈実録〉として読まれ、『桃花源記』などもフィクションとして読まれなかったというようなことが述べられているのだが、それではそういうものを書く層は他人の手による文字記録を物語として読まなかったのだろうか?序章での議論は大いに疑問である。本編で訳出される唐人伝奇にも「たんなる怪異譚と馬鹿にできようか」という一文があるが、これは伝奇を「たんなる怪異譚と馬鹿」にする立場も一定程度存在したことを示すのではないだろうか?2023/11/03
すいか
2
唐代の伝奇小説について、執筆者や同時代の読者たる文人階級はそれをフィクションではなく実録として捉えていたという前提に立ち、様々な伝奇作品に反映された執筆者の政治的、社会背景を分析するという趣向は興味深い。牛僧儒『古元之』などは過酷な政治闘争や行政実務の煩雑さに疲弊した文人官僚の理想郷を描いたかと思うと同情すらしてしまう。ただ唐代伝奇には非常に気味の悪い怪異譚もあるので、それを実録としてどう読んでいたのかという疑問は残るし、怪異の表現には一定の物語性が見出せないだろうか。民間伝承との連続性も気になる。2024/05/23
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