中国ビジネス旅日記

中国ビジネス旅日記

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  • サイズ B6判/ページ数 227p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784492553626
  • NDC分類 302.22
  • Cコード C3034

出版社内容情報

中国で現地社会を血圧計生産世界一に育てあげた日本人企業役員によるビジネス業務・旅日記。中国ビジネス・ノウハウ集として大いに役立つ。

内容説明

先進進出企業の著名責任者が全公開。「五感」で会得した中国ビジネス成功の秘訣。

目次

第1章 政治・文化の都―北京(日本メーカー最初の傘型会社―欧姆龍(オムロン)(中国)有限公司
十年は最低の時間単位―オムロン最初の合併会社 ほか)
第2章 遼東半島の星―大連(最初の独資工場、欧姆龍(大連)有限公司の誕生
故郷を想う歌声―アカシア合唱団 ほか)
第3章 中国経済改革の龍頭―上海(上海浦東・欧姆龍城工業団地;多宗教文化の融合 ほか)
第4章 中華経済圏―香港と台湾(中華経済圏の接着剤、漢字と儒教;歴史の新貢―香港回帰 ほか)

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ナウラガー_2012

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他の中華料理と違って主食が先に出る/杭州の樹:銀木犀、杭州は臨安と呼ばれ南宋の都で、907年に唐が滅び、五代十国時代を経て北宋が天下を取り、960年に開封に都を置いた。その北宋が金に追われこの地に都を移したのが1132年。杭州は北宋の首都開封に似せて作られた街で、北宋の蘇東坡が副知事として赴任した時は左遷と本人は捉えたが、唐の白居易は志願して県知事になった2008/04/04

ナウラガー_2012

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で、独立心が強く(温州の国有企業は全企業のわずか4%)、貿易力がある。「中国の外国」とか「中国のユダヤ人」と言われ、温州人のネットワークは強力。和歌山の温州蜜柑は温州から。本場の温州では「温州蜜柑」とは言わず「甌柑(ジンカン)」という。昔温州を「甌海(ジンカイ)」と呼んでいたため。太湖周辺も蜜柑の産地。温州方言と日本語が似ている。乾杯の「随意」を「スイイー」と発音したら「ずいい」と言い直されたし、貝、海老、魚の刺身を食べ、蒲鉾もあるし板に乗っている。芥子蓮根もあって「れんこん」と発音する。2008/04/04

ナウラガー_2012

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なく、”粳(ウルチ)”しかなかった(『中国・江南のみち/司馬遼太郎』)。”米山”は、11C初頭に栽培された。”揚州炒飯”は11C以降の登場。揚州名物に「富春包子(肉饅)」がある。揚州の金山寺は唐代、洛陽、長安に修行に行く日本の僧侶が必ず立ち寄った寺/金山寺味噌:室町時代に雪舟という修行僧が揚州の金山寺で作り方を教わって日本に持ち帰ったもの/温州:宋代、山に囲まれていたため林業と造船業が盛んだった。刺繍、漆、木彫手芸などの手工業も栄え、今も伝統を受け継いでおり、電子工業も手工業に活きている。温州人は商売上手2008/04/04

ナウラガー_2012

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となり、南北が「街」で東西が「路」と呼ばれた(NYCの「アベニュー」と「ストリート」の関係)。「長春大和ホテル」「長春小学校」「満鉄長春医院本館」「郵便局」「警察署」なども手掛けた/上海・浦東:昔は、むずがった子供に「浦東に連れて行くよ!」と言えば泣き止んだというくらい野蛮な土地で、鬼が住むとも言われた/広州には7C半ばまでに回教の寺院が建てられていた。9Cにはウイグル・トルコの大軍が唐朝に反乱の鎮圧のために招聘されてから回教が根付くようになった/”米山(セン)”というパラパラ飯の稲は古代中国には2008/04/04

ナウラガー_2012

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のものを継承した/長春:中国三大緑化都市(南京、南寧)で”杜の都”と言れ仙台と姉妹都市。日本の植民地時代に最高の都市計画(下水の完備、水洗トイレ、電柱の地中化など)を持って造られた都市。日本よりも都市計画が実現できていた。満州は1800年代後半~WW2まで帝政ロシア、ソビエト連邦、 日本に支配された土地で、1905ポーツマス日露講和条約までは寒村で、哈爾濱、葡陽(奉天)、旅大(旅順&大連)が大都市だった。講和条約では日本は東清鉄道の長春より南側を日本は手に入れている。1931に長春が満州国の首都・新京2008/04/04

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