画文集 シベリア抑留1450日―記憶のフィルムを再現する

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  • サイズ A5判/ページ数 595p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784490206135
  • NDC分類 916
  • Cコード C1071

出版社内容情報

敗戦後捕虜として強制移送された著者が、シベリア収容所での生活と労働の現場を、記録写真のようなペン画で日録的に記した画文集。

内容説明

戦争の悲惨、残酷、虚しさを語り継ぐことはむずかしい。極寒と飢餓と病いと、著者は生きて地獄を体験した。それを戦後生まれの息子に伝えたいと、命がけで画筆を握り記憶を再現した。歴史に学ぶ貴重な記録。

目次

捕虜、シベリア強制収容所―1945(昭和20)年(ソ連軍満州侵攻の報に出動命令佳木斯駐屯地輜重兵134連隊本部;戦用糧秣を交付、輓馬大隊が出動 ほか)
零下40°C・飢え・重労働―1946(昭和21)年(他の大隊は次々奥地へ入ソ後初の新年ネーヴェリスカヤ;軍隊は解体したのに残る上官の横暴 ほか)
“懲罰”労働、生死の肺炎―1947(昭和22)年(2度目の正月/ネーヴェリスカヤ;百人一首をほとんど思い出す ほか)
“民主”グループ、不良グループ―1948(昭和23)年(入ソして3回目の正月;衛生管理にうるさい軍医黒猫嬢登場 ほか)
水原茂、マーヤ、舞鶴へ―1949(昭和24)年(シベリア4回目の正月に思う;政治意識の高かった40ラーゲリ ほか)

著者等紹介

山下静夫[ヤマシタシズオ]
1918年(大正7)4月神戸市生まれ。14歳頃からペン画を独習。1936年(昭和11)兵庫県立第一神戸商業学校(現兵庫県立神戸商業高等学校)卒業。1941年(昭和16)三光汽船入社。1943年(昭和18)旧日本軍に召集され満洲(現中国東北地区)佳木斯(チャムス)に駐屯。1945年(昭和20)当時主計軍曹、8月ソ連軍の攻撃を受け、敗戦、捕虜となる。シベリア鉄道にてソ連領内に送られ、12月イルクーツク州タイシェト地区着。以後4年間同地区の収容所を転々、バーム鉄道建設の重労働に耐える。1949年(昭和24)9月ナホトカ港を経て舞鶴に帰還、入院。1951年(昭和26)退院後、就職。1974~1981年(昭和49~56)通勤電車の中で抑留の記録画を描く。1983年(昭和58)退職、画業に入る。私家版画集『シベリアの物語―兵士の記録』発刊。1984年(昭和59)銅版画を春陽会広田雅之氏に師事。1993年(平成5)蔵書票(Ex Libris)制作を始める。現在、日本書票協会会員。2006年(平成18)6月『シベリアの物語』日露対訳版刊(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

zoe

22
抑留の記憶を留まるための本。画によって理解が深まります。合わせて文が研ぎ澄まされている。メモです。ただ知っているだけで、何の脈絡もない、人間社会にプラスにならぬ知識が多いのではないか。我々は、鉄砲玉同様に利用された操り人形ではなかったか。最も我々を喜ばせたものは、海の水が塩辛いという事。水が塩辛いことは、日本に帰れる条件の第一なのだ。2021/09/01

猫田

1
★★★★帰国して25年後に描いたとは思えない記憶力。ペン画の緻密なタッチが、シベリア抑留の暗い内容と合っているように思う。こんな過酷な数年を生き抜ける人たちがいるのだなと驚いた。2015/05/24

フンフン

1
シベリア抑留者に対して、いかなる文書・画像も、持ち帰り禁止にしたソ連当局も、記憶を封じることはできなかった。「現場でカメラのシャッターをきった写真のように」を心がけて描いたという352枚のペン画で綴られる抑留の1450日。2014/07/17

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