あの時、ぼくらは13歳だった―誰も知らない日韓友好史

電子版価格
¥1,760
  • 電子版あり

あの時、ぼくらは13歳だった―誰も知らない日韓友好史

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ A5判/ページ数 239p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784487806041
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0095

出版社内容情報

半世紀にわたる時空と天空を越えた壮大な人生ドラマ。終戦間近から始まる二人の知識人の交流はそのまま日本と韓国の歴史を物語る。

半世紀にわたる、まさに時空と天空を越えた人生ドラマ

「朝鮮の人たちが朝鮮語を話して何が悪いんだ」
終戦間近、日本統治下の朝鮮の学校で、日本人の少年Aが叫んだ言葉が、朝鮮の少年Bの脳裏から離れない。
戦争末期の朝鮮半島、二人の少年はともに地元の旧制中学に通い、学んだ。日本統治下の朝鮮半島の実情、参戦してきたソ連の横暴、終戦後の悲惨な脱出行、41年後の劇的な再会など、二人の知識人の交流はそのまま日本と韓国の歴史を物語る。

目次

あの時、僕らは13歳だった―誰も知らない日韓友好史(41年ぶりの再会;1945年の出会い;僕らの時代の教育と創氏改名;戦火の中で;日本人の壮絶な帰国行列;南北分断・韓国戦争(朝鮮戦争)と休戦ライン
日韓それぞれの学生時代
小さな交流・対面コミュニケーションの創造(同志社大学OB男声合唱団「クローバークラブ」の活動)
日本の城津会・韓国の城津市民会
日韓共同繁栄の道
僕らの世界観)
友へ・そして未来へ(牧内良平;佐藤しのぶ;日下部吉彦;高橋由紀子)

著者等紹介

寒河江正[サカエタダシ]
放送人。1933年2月28日現・朝鮮民主主義人民共和国金策市(旧城津府)生まれ。1953年宮城県立仙台第二高等学校卒業。1957年同志社大学文学部卒業(新聞学専攻)。1959年ラジオ関東(現ラジオ日本)開局・入社。1972年テレビ神奈川開局・入社。1993年定年退職後番組制作を続けている。1995~2003年武蔵野美術大学非常勤講師(放送文化論)。主な受賞:1965年「ぼくと母さんとダークダックス」関東地区民間放送番組コンクール第1位

羅逸星[ナイルソン]
天文学者。1932年11月11日現・朝鮮民主主義人民共和国金策市(旧城津府)生まれ。1953年延世大学物理学専攻。1966~1971年ペンシルバニア大学天文学専攻(博士号取得)。1998年延世大学名誉教授。2004年社団法人世宗大王記念事業会常務理事。国際活動:1982~1991年アメリカ、メキシコ訪問。2003~2009年国際天文連盟天文学史会委員長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

この商品が入っている本棚

1 ~ 1件/全1件

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

takao

3
ふむ2024/04/20

c_a_m

3
対談形式だからか、いまいちすとんと落ちず。ただ美談に終わるのではなく実体験を語り合う姿に好感が持てました。残念なのは、読み手が必ずしも背景をわかっていない、ということを認識した上で解説など入れ、読みやすくすればいいのにと感じました。編集者の力不足かな。2012/09/01

うりきち

1
あまり私達に知らされない日本支配下の朝鮮半島。たった4カ月半の同級生が改めて出会いなおして対談してこの本ができたようです。中学一年生だったお二人もそれぞれよいお年になっていて。本当はもう少し年上だった方々のお話も聞いておきたかったと思います。それは演劇「線路は続くよどこまでも」あたりの役割なんでしょうか。城津(ソンジン)といういまは北朝鮮にある町がどうなっているのか知りたくなります。2012/06/08

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/4062258
  • ご注意事項

最近チェックした商品