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内容説明
天神山、豊洲、苗場と動き続けたフジロック。伝説の97年から7年。そこには知られざる数々の物語があった。フェスティバルへの熱き思い、アーティストブッキング秘話、その長き歴史と未来のすべてを語る。
目次
第1章 フジロックフェスティバル前史(ずっと前から、もやもやを感じていた;フジロックの原点、グラストンバリー)
第2章 1997年・富士天神山スキー場(いよいよスタートしたフジロックフェスティバル;スタンディングにこだわった理由 ほか)
第3章 1998年・東京ベイサイドエリア(豊洲)(天神山でリベンジ;絶対成功するはずの豊洲リベンジ ほか)
第4章 1999年・新潟苗場スキー場(朝霧との交渉継続;突然動き出したフジロックin苗場 ほか)
第5章 2000~2002年in苗場(2000年、会場ステージ構成とアーティスト・ブッキング―ブランキー・ジェット・シティ、プライマル・スクリーム、etc;2001年、ステージ構成とアーティスト・ブッキング―ニール・ヤング、オアシス、トラビス、エミネム、etc ほか)
第6章 2003年、そしてこれから(2002年が終わり、2003年へ;アーティストたちが出たいと思うフェスティバルに ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
だーぼう
19
行っても行かなくても。フジロックが終わった直後に本棚から引っ張り出して毎年再読している。ブログに感想を書きました。2010/08/17
kimrahimovic
2
自分が初めて参加した04年以前のフジロックの回想。 知っている話が多かったが、所々に印象的なエピソード。 98年、スタンディングに慣れていない客が将棋倒しになり、ミッシェルの演奏は何度も中断したが、その後、それよりラウドなステージのKORNは、客もスタッフも慣れていて何ともなかった。 バックステージでそれを見ていたミッシェルのマネージャーに言った、大将の「ねえ、こうなんなきゃダメなんじゃないの!?」。マネージャーの「悔しいです!」 その後彼らはオールスタンディングのツアーを日本で確立していった、とか。2019/07/29
西澤 隆
2
'99にフジロックが苗場に来ることになった時、何度も現地に通ってガイドするサイトを作ったのを思い出す。あの時は「お客さん」としてレディメイドのフェスを楽しむのがイヤで、あきらかに「みんなで作るんだ」という使命感のようなものがあった。とはいえ主催者側はなにもしてくれなかったわけではなく、間違いなく現地にはたくさんの心遣いがあった。「わかんないやつはわかんなくていい。俺たちはオトナのオーディエンスとして一緒にこのフェスを作っていくんだ」というあの高揚感。それを思い出すほどに日高「大将」の述懐には共感するのだ。2014/05/16
Takeo Kayaba
1
フジロックを作った、オーガナイザー日高さんの熱い想い。あの伝説の第一回目「嵐の天神山」から、いまの安定的なフジロックに至るまでの奇跡!なんとかして、やってみる!っていうそのスタンスがいい!2013/07/25
みちのうえ
1
改めて同じ興行者として尊敬。2012/03/04
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