出版社内容情報
日本の近代は、国内の民主化と対外侵略が矛盾なく進展した時代とみなされる。だがそれは本当か。日中全面戦争への道のりから考える。
内容説明
日本の命運を決した「相克」の近代史。80年前の夏、この国が破滅への道を選ばざるをえなかったのはなぜか―近代日本が抱えた宿命的な「矛盾」に挑む。
目次
1 「帝国」と「立憲」のはじまり―一八七四~一八九五年(中国に勝って「小帝国」を―台湾出兵;立憲政体を求めて;壬午・甲申事変―「帝国」ふたたび;日清戦争―「帝国」の誕生と「立憲」の定着)
2 「帝国」と「立憲」の棲み分け―一八九五~一九一七年(強兵と厭戦―日露戦争前の「帝国」と「立憲」;日露戦争から第一次世界大戦へ―「帝国」と「立憲」の攻防;大正政変からシーメンス事件へ―「帝国」の停滞と「立憲」の高揚;対華二十一カ条要求―内に立憲、外に帝国)
3 「帝国」と「立憲」の終焉―一九一八~一九三七年(概観―二つの世界大戦の間に何が起きたのか;両大戦間の三つの画期)
「立憲」なき「帝国」の暴走
著者等紹介
坂野潤治[バンノジュンジ]
1937年生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。同大学院人文科学研究科博士課程中退。東京大学社会科学研究所教授、千葉大学法経学部教授をへて、現在は東京大学名誉教授。専攻は日本近代政治史。著書に『日本憲政史』(東京大学出版会、角川源義賞受賞)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
樋口佳之
27
自分が心の底では軽んじてきた中国との戦争に正面から反対する気持ちにはなれなかったのです。同様のことが今日の平和主義者にも起こるのではないか。このような懸念こそが、筆者をして戦前日本の日中関係史の分析に向かわせました。/終章思いの外の熱い議論でした。2018/07/05
小鈴
23
「内に立憲、外に帝国」のダブルスタンダードで同時進行した歴史像ではなく、「帝国」に対抗した「立憲」との関係から歴史像を描く。日中関係に限定しているため勉強になるし、中国を侮り見誤る姿は戦前も今も変わらないと感じました。大御所に意見するのもアレですが、時代区分ごとにゲームのルール(大日本帝国憲法制定前/後、統帥権と対抗する諸権限)を図などで示して描いた方が分かりやすい。戦前の政党史を多少は知らないと読むのが苦痛になるので、人を選ぶ作品なのが残念だ。2017/10/16
勝浩1958
18
副題にあります”日中戦争はなぜ防げなかったか”の問いには、中国側にとっての日中戦争は「民族解放戦争」であり、侵略者日本軍を国土から駆逐することが目的であったので、日本軍の無条件全面撤兵を前提としない講和はまやかしでそれに応ずることは敗北を意味したのである。よって、日本は中国軍民の「殲滅」を選択したが、開戦2年で長期持久戦に方針転換した。筆者は和平への責務は為政者であるといい、リベラルな政党内閣か準政党内閣の下でしか、戦争は抑え込めないと主張しています。2017/11/05
coolflat
12
近代日本が対外進出に着手したのは、1874年の台湾出兵からであり、他方、近代日本が立憲制の導入に向けて具体的な一歩を踏み出したのは、その翌1875年の立憲政体樹立の詔勅からだった。前者を「帝国」化、後者を「立憲」化と呼ぶとするなら、筆者は「立憲化が盛んな時には、帝国化が抑えられる」ということを日本近代史の中に見出したという。例えば、帝国の膨張過程は、1874年の台湾出兵→1894年の日清戦争(1904年の日露戦争)→1915年の対華21カ条の要求→1931年の満州事変→1937年の盧溝橋事件、を辿った。2018/02/07
ケニオミ
12
明治以降の歴史の立場から見て「立憲」と「帝国」は交互に伸長・衰退してきたことを著した書です。些細な失敗が勢力の衰退を招くため、慎重な行動求められます。改めて近衛文麿の優柔不断さが日本にもたらした罪過が目につきました。また、歯車が「帝国」に向かないような仕組みづくりの重要性にも気付かされました。その点安倍首相は危険人物ですね。2017/10/15