出版社内容情報
『論理哲学論考』はなぜフレーゲとラッセルに理解されなかったのか? 従来のウィトゲンシュタイン像を覆す独創的な試み。
内容説明
ウィトゲンシュタインの主著『論理哲学論考』は、なぜフレーゲとラッセルに理解されなかったのか?無理解のただなかで彼が語ろうとしたものは何か?「語りうるもの」と「語りえないもの」という哲学の基本問題をめぐる彼の天才的な洞察を論理・独我論・倫理の視点から分析、「反形而上学のチャンピオン」とされる従来のウィトゲンシュタイン像を覆し、形而上学の伝統のなかへと解放する独創的な試み。
目次
序章 ウィトゲンシュタインと形而上学
第1章 形而上学
第2章 論理
第3章 独我論
第4章 倫理
終章 形而上学者ウィトゲンシュタイン
著者等紹介
細川亮一[ホソカワリョウイチ]
1947年東京生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学大学院文学研究科哲学専攻博士課程修了。1984年‐86年フンボルト奨学生としてドイツ留学、1995年‐96年アメリカ合衆国留学。文学博士。現在、九州大学大学院人文科学研究院教授
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感想・レビュー
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脳疣沼
3
しつこいくらい「形而上学者としてのウィトゲンシュタイン」を論証していく面白い本。これまで、まあまあの数のウィトゲンシュタインの入門書を覗いてきたが、本書は見た目はごつくてとっつきにくいが、実は入門書としてもっとも適しているのかもしれない。なぜならとにかく「しつこく」説明されるから。形而上学者としてのウィトゲンシュタインとしてしか見れなくなってしまう可能性もあるが、記述が丁寧なので、結構おすすめ。2018/11/07
ろびん
3
流石に飛躍というか、拡大解釈が過ぎるように思えますが。2018/09/28
かおす
1
論考を形而上学として捉える、という大筋が最後まで一貫しており読みやすかったように思う。論考が無意味だとするのは、語りえないもの=形而上学的なもの自体ではなく、それらを「語ること」であり、ゆえに論考は「沈黙する」ことが形而上学として正しいあり方だと示していること、そしてその点において形而上学の立場であるという主張は納得ができるものだった。また、論考が論理定項を消し去ったことや、主体ではなく(私の)世界の唯一性を出発点とした独我論の展開に関する説明を通じて、論考の独自性や立ち位置を知れたように思う。2022/09/07