出版社内容情報
日本でも注目され始めたネイチャーライティング。人は自然をどう感じてきたか。なぜ人には自然が必要なのか。味わい豊かな作品を通じ、人と自然の関係を再確認する。
内容説明
風景に包まれ、動物と出あい、土に還る。人はその至福を言葉で表現する。味わい豊かな名作を紹介しながら、人と自然のつながりを再確認する一冊。
目次
1 なぜ自然を見るのか?―“交感”の思考(なぜ雨が降るのか?;なぜ丘に登るのか?;なぜ風景に見とれるのか?)
2 なぜ動物を見るのか?―化身・同化・他者(狐になる―石牟礼道子『椿の海の記』;イタチと出遭う―アニー・ディラード「イタチの生き方」;他者としての動物―ロバート・フィンチ「鯨のように」;異界としての自然―エドワード・アビー;生きものたちの時間―加藤幸子『池辺の棲家』)
3 ネイチャーライティング
著者等紹介
野田研一[ノダケンイチ]
1950年生まれ。立教大学大学院文学研究科修士課程修了。札幌学院大学、金沢大学教育学部助教授を経て、立教大学大学院教授。専門は英語、アメリカ文学/文化、環境文学。人間と自然環境の関係を文学の観点から研究しており、日本のネイチャーライティング研究の第一人者。ASLE‐Japan/文学・環境学会前代表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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翔亀
43
米文学史の一分野であるネイチャーライティングの紹介本。ソローという先達はいるが細々とした流れで、注目され始めたのは1990年代で、日本では手つかずだという。米国では自然を主題としたノンフィクションと定義されているが、本書では梶井基次郎・石牟礼道子・加藤幸子が日本のネイチャーライティングの例として紹介される。単に自然を描写するのではなく、自然との<交感>があることがポイント。コントロールの対象としての自然ではなく、他者としての自然=生き物への畏怖の念。下に引用するフィンチの言葉に思わず膝を打ったのだった。2015/03/20
アナクマ
26
文学に書かれた自然描写/交感から読み取れる人間の反応・あり方などを考察する。平易な単語ばかりで構成されるが、文意をくみ取り難かった。こちらのセンスの問題。◉環境問題に対処するためには「私たちにとって自然はどうあるべきなのかという思想的判断」が前提となり、判断を下すには、自然との付き合いの歴史的な知識が必要となる。そこで人文社会系の学問の出番(思想、哲学、倫理学、歴史学など)。さらに、自然観の根底には人間の感受性や美意識があるわけで、ここに文学・芸術を紐解く意味が現れる…と理解しましたが、これでいいのか。→2022/09/11
ハチアカデミー
4
ネイチャーライティングという文学ジャンルがいかなるものなのか、どんな可能性をはらんでいるのかを論じた入門書。「自然について語るエッセイ文学」であるネイチャーライティングには、既存の文学観に改変をせまる可能性を持つ。さらに文学のみならず、「自然とはなにか」という哲学的、社会学的問いも投げかける。自然を鏡として捉えることで、人間にとって自明と思われていたものが、揺らぎ、崩れていく。自然は、神なき時代における最後の他者だ。己にコントロール出来ないものがあるという自明のことを、人間はもっと自覚するべきだ。2012/08/22
むぎ
3
この本を手に取るまで「ネイチャーライティング」の存在を知らなかったが、とても興味深く読めておもしろかった。「ネイチャーライティング」とは自然に関するノンフィクションのエッセイのこと。環境問題について考えるとき「じゃあ私たちにとって自然とはどうあるべきなのか」の答えを見つけなければ、その対策が決まることはない。答えを見つける時に必要なのは、歴史的に人類がどう自然と付き合ってきたのかという知識と、個人が持つ様々な自然観。そもそも人間にとって自然とはどんな存在なのか? いろいろと考えさせられる本だった。2018/04/19
藤
2
「なぜ丘に登るのか」についてや、自然との同化、一体化のような「魔法の瞬間」について書かれており、今まで自分がなぜ自然(木?森?)になりたいと思っていたのかの答えが見つけられた気がする。「孤独が風景を呼び寄せるのです」という所はなるほどな〜と思った。とても面白かった。現代は人間中心に便利になりすぎている、もっと自然を尊重して生きたい。2016/07/15