ちくま学芸文庫<br> (見えない)欲望へ向けて―クィア批評との対話

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ちくま学芸文庫
(見えない)欲望へ向けて―クィア批評との対話

  • 村山 敏勝【著】
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  • 筑摩書房(2022/02発売)
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  • サイズ 文庫判/ページ数 336p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784480510976
  • NDC分類 904
  • Cコード C0190

出版社内容情報

英文学の古典とセジウィック、バトラー、ベルサーニらの理論を介し、読む快楽と性的快楽を混淆させ、クィア批評のはらむ緊張を見据える。解説 田崎英明

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性差や異性愛といった規範が作用する場から見えない欲望を引き出し、新たな解釈を生産すること。本書は、そうしたクィア批評の声に耳を傾けながら、「自分ではない」ものへの同一化による読むことの快楽と、性的な快楽を混線させる試みである。セジウィックの理論や英文学の古典から、ホモソーシャルな欲望、共同体の規範に従う快楽、プライヴァシーという概念装置等を縦横に論じるとともに、クィア批評と精神分析の思想的往還を、ジジェク、バトラー、コプチェク、ベルサーニらを読むことで辿った。クィアなるものが含む解放性と固有性のパラドックス、批評的・思想的探究と政治的意味の緊張をも見据えた名著。 解説 田崎英明

===

クィアな読解とは何か
ディケンズ、セジウィックからベルサーニまで

===

【目次】
Ⅰ 見えない欲望を読む
第一章 セジウィックとホモソーシャル/ホモセクシュアル連続体
第二章 男と男のあいだ―『デイヴィッド・コパフィールド』のセクシュアリティ
第三章 ジェイン・オースティンを読む兵士たち

Ⅱ プライヴァシーの亀裂と侵犯
第四章 わたしは作文を引き裂いた―『ヴィレット』と語る女性の私的領域
第五章 登場人物には秘密がない―E・M・フォースターのクローゼット

Ⅲ 精神分析とクィア批評の往還
第六章 欲望はそこにある―ジジェク、コプチェク、固い現実界
第七章 主体化されない残余≠去勢―ジュディス・バトラーと誤読のポリティクス
第八章 孤独なマゾヒズム―レオ・ベルサーニへの斜線

あとがき
解説 秘密の在り処(田崎英明)

内容説明

性差や異性愛といった規範が作用する場から見えない欲望を引き出し、新たな解釈を生産すること。本書は、そうしたクィア批評の声に耳を傾けながら、「自分ではない」ものへの同一化による読むことの快楽と、性的な快楽を混線させる試みである。セジウィックの理論や英文学の古典から、ホモソーシャルな欲望、文学共同体の規範を学ぶ快楽、プライヴァシーという概念装置等を縦横に論じるとともに、クィア批評と精神分析の思想的往還を、ジジェク、バトラー、コプチェク、ベルサーニらを読むことで辿った。クィアなるものが含む解放性と固有性のパラドックス、批評的・思想的探究と政治的意味の緊張をも見据えた名著。

目次

1 見えない欲望を読む(セジウィックとホモソーシャル/ホモセクシュアル連続体;男と男のあいだ―『デイヴィッド・コパフィールド』のセクシュアリティ;ジェイン・オースティンを読む兵士たち)
2 プライヴァシーの亀裂と侵犯(わたしは作文を引き裂いた―『ヴィレット』と語る女性の私的領域;登場人物には秘密がない―E・M・フォースターのクローゼット)
3 精神分析とクィア批評の往還(欲望はそこにある―ジジェク、コプチェク、固い現実界;主体化されない残余≠去勢―ジュディス・バトラーと誤読のポリティクス;孤独なマゾヒズム―レオ・ベルサーニへの斜線)

著者等紹介

村山敏勝[ムラヤマトシカツ]
1967‐2006年。英文学者。成蹊大学文学部助教授を務めた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

しゅん

15
隠された、見えない性的欲望を文学作品から見出す、という作業をクィア批評は為してきた。しかし、「隠されている」ものを暴くという形式自体が、同性愛を示唆する「クローゼット」の言い方とあいまって、ステレオタイプや保守化を招くのではないか。著者はそのような問題意識から、ディケンスやオースティンといった古典小説、あるいはラカン派の精神分析を読み解く。文章自体はそんなに難しい印象は持たないのだが、私が読み解けてない複雑な思考があるように思う。2023/11/04

今野ぽた

5
まずはこの本が文庫化したことに敬意を表したい。 大学院生時代以来に読み返したがやはり刺激的な本である。特に第5章、第6章は小説を読む快楽を考えさせてくれる。正直、ほとんどが読み通せない難解なのだが、「どこに向かっているかわからない欲望、同一化できるかどうかわからない欲望の所在に気づき、ためらいがちに近づくこと。クィアなパフォーマンスが文学批評に多くを与えてくれる(逆もまた)のは、未知の欲望を読むことを通してである」(p61)ということが通底していることは分かる。2022/02/19

KA

3
アイデンティティ批判が当然のようになされていたのとまさに同じ時期に、クィアという名で呼ばれるアイデンティティはようやく形成された…クィアという、アイデンティティ批判のただなかで生まれたアイデンティティは、その緊張をもっとも過激に引き受けてきた17 イデオロギー性への批判が、研究の大きな潮流となって久しい。ただ、しばしば語られないですまされてしまうのは、ポストコロニアルや新歴史主義的な視点からのイデオロギー分析が、倫理的に真摯で政治的に正当な営みであると同時に最高の知的興奮をもたらす麻薬でもあることだ2952022/02/27

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