出版社内容情報
動物における諸問題を扱った伝説的な講演を編集したデリダ晩年の到達点。伝統的な西洋哲学における動物観を検証、脱構築する。解説 福山知佐子
内容説明
一糸まとわぬ自分の姿を猫に見つめられた哲学者は、正当化不可能な、そして告白不可能な恥に襲われる―何が恥ずかしいのか、誰の前で裸なのか、と。本書は、動物についての諸問題を扱った伝説的なコロックにおける講演と、補論として即興で語られたハイデッガー論を収録。自らの経験を「自伝」的語りとして差し出し、聖書や神話を分析しつつ“動物”をめぐるこまやかな考察を展開する。デカルト、カント、レヴィナス、ラカン、ハイデッガーの動物観を検証し、動物をロゴスが欠落した存在とみなして排除してきた哲学伝統の脱構築に向かう思考の挑戦。
目次
1 動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある(続く)
2
3 ではもし動物が応答したら?
4
著者等紹介
デリダ,ジャック[デリダ,ジャック] [Derrida,Jacques]
1930‐2004年。仏領アルジェリア生まれ。エコール・ノルマル・シュペリウール卒業。西洋形而上学のロゴス中心主義に対する脱構築を唱え、文学、芸術、言語学、政治哲学、歴史学など多くの分野に多大な影響を与えた
鵜飼哲[ウカイサトシ]
1955年、東京都生まれ。京都大学大学院文学研究科修了後、パリ第8大学に留学し社会科学高等研究院のジャック・デリダのセミネールに通う。一橋大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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フリウリ
8
哲学史のなかから、人間>動物の関係を見出し、その矛盾や迷いをあとづけていく方法がとてもおもしろく、かつわりと理解できました(ラカン以外)。動物をテーマにして哲学者が自問する、あるいは他者から問われるとき、「世界がわからない」(ハイデガー)、「表情がわからない」(レヴィナス)と、これまで自明と思われた概念が翻されていく気配をみせるのが興味深いです。最後に画家の方が、デリダを語りつつ肉食する人への違和感を述べておられますが、飢えれば人間は、同類をも食べてきた本性(と来歴)を、わたしは忘れません。92024/02/15
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4
西洋思想が、いかに動物を抑圧し排除することで「人間」の概念形成をしてきたか、デカルト、カント、レヴィナス、ラカン、ハイデガーを題材に語る。「哲学的権利はそのとき、「常識=共通感覚」の権利として表れる。平然と一般的単数形で動物について語ることに対する、哲学的感覚と常識=共通感覚のこの用意は、おそらく、おのれを人間と呼ぶものたちの、もっとも大きな、もっとも症候的な愚かさの一つだろう」(107ページ)。2024/07/16
中村蓮
2
動物論と反ロゴス中心主義という取り合わせは、まあ、そうでしょうねといったところですが、ゴダールの『さらば、愛の言葉よ』がこれへの「応答」であるとは初めて知りました。映画は犬!?いたっけ?くらいの曖昧な記憶ですが。 それから、表紙と第一部の猫飼いエピソードにニヤニヤしてしまいました。おおよそ哲学書に対する読み方ではなかった。こんな感想で申し訳ありません。2023/11/30
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