出版社内容情報
浅田彰・中沢新一・柄谷行人・蓮實重彦から、福田和也・大塚英志・宮台真司をへて、東浩紀・國分功一郎・千葉雅也まで。現代の思想と批評を読む。
内容説明
80年代の浅田彰・中沢新一・柄谷行人・蓮實重彦がもたらした知の衝撃、90年代における福田和也・大塚英志・宮台真司の存在感、ゼロ年代を牽引した東浩紀、テン年代と切り結ぶ國分功一郎と千葉雅也―。およそ半世紀にわたるこの国の思想と批評の奔流を一望したベストセラーに、二つの新章を加え更新して文庫化。
目次
プロローグ 「ゼロ年代の思想」の風景
第1章 「ニューアカ」とは何だったのか?
第2章 浅田彰と中沢新一―「差異化」の果て
第3章 蓮實重彦と柄谷行人―「テクスト」と「作品」
第4章 「ポストモダン」という「問題」
第5章 「九〇年代」の三人―福田和也、大塚英志、宮台真司
第6章 ニッポンという「悪い場所」
第7章 東浩紀の登場
第8章 「動物化」する「ゼロ年代」
第9章 ストーリーを続けよう?(On with the Story?)
第10章 二〇二〇年代の「ニッポンの思想」
著者等紹介
佐々木敦[ササキアツシ]
1964年、愛知県生まれ。思考家/批評家/文筆家。音楽レーベルHEADZ主宰。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。芸術文化のさまざまな分野で活動している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Sam
56
最近「構造と力」が文庫化されたし、日本の思想史を見直す機運が高まっているのだろうか。本書はいわゆるニューアカ時代から現代に至る思想の流れを辿った一冊で、大学1年のときに柄谷行人の「日本近代文化の起源」や「マルクスその可能性の中心」を読んで衝撃を受けたことを思い出しつつ読んだ。内容的に十分な理解には及ばないもののとても分かりやすく整理されていて、ニューアカのあと日本の思想界を背負って活躍している東浩紀、新たに頭角を表してきた國分功一郎や千葉雅也といった思想家の著作もきちんと読んでみたいという気にさせられた。2024/01/06
hasegawa noboru
22
二〇〇九年刊行の講談社現代新書版に二〇一六年時点の論考を追加し(第九章)、第十章 二〇二〇年代の「ニッポンの思想」の書き下ろしを加えて、増補新版として昨年一二月に文庫化されて出た本。浅田彰の『構造と力』から始まった八〇年代「ニューアカ」ブーム以降のニッポンの思想界の風景を眺望絶佳に(難解でほとんど歯が立たなかった身にも分かった気にさせてくれるという意味で)鮮やかに顧みさせてくれる。震災、改元、コロナ禍を超えて今二〇二三年の<この国の「現代思想」の風景は、ずいぶんと様変わりしているように見える>と筆者は言う2024/01/24
しゅん
22
初版を含めて、気づいたら5回くらい読んでいる?『構造と力』を読み直したら思ったより閉塞感を覚えたけど、本書ですでに指摘されていた。浅田、柄谷、蓮實、福田、東、國分、千葉と、それぞれの「ポストモダン」感の比較論としても読める。他の方も指摘している通り、ゼロ前代の一時期に國分功一郎と千葉雅也が日本にいなかったことが10年代の彼らの存在感に繋がったという指摘には納得する。個人的実感としても、二人の本を読んだときに新鮮さを覚えたのを記憶している。2023/12/19
ほし
17
浅田彰をはじめとする80年代のニューアカからはじまり、福田、大塚、宮台らによる90年代、そして東浩紀によるゼロ年代、國分、千葉が現れるテン年代…と「ニッポンの思想」を総ざらいする一冊。現状に対して批判的でイデアル(理念的)な80年代から、現状に対して関与的といえる、リアル(現実的)な90年代へ。そして現状に対して受容的なゼロ年代と、グローバルな視座へと移ったテン年代。このような大きな見立てとともに個々の思想が紹介され、非常に読みやすい内容でした。2024/02/10
うつしみ
15
個々がスマホを持ち情報収集/発信する時代。一見ニューアカで提唱されたリゾームが完成した様だが、却って息苦しくも感じるのは相互監視のパノプティコンシステムでもあるからではないか。これがこの40年間色んな論客が議論を交してきたポストモダンの最終形態なんだろうか?浅田彰が逃走と訳したfuiteには水漏れの意味もあるという。社会システムは完璧を目指すべきでなく、多少の漏れが残してある方が人は人らしくいられる。家畜の様に管理する方向でなく人の固有性を大事にする社会構築の為、思想市場は今後も活況が続いてほしいと思う。2024/05/12
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