出版社内容情報
36歳で中国語を始め、40歳で通訳に! 勉強に没頭する日々、学習のコツ、中国文化の面白さ……語学を愛する人は必読の名著。解説 黒田龍之助
内容説明
36歳で著者が中国語を学び始めたとき、人は「ハダシでアルプスに登るようなものだ」「やめろ」と言った。「語学は若いうちに始めるほうがいい」かもしれない、しかし…。有言実行。学習を開始し4年、40歳で通訳になり、生涯中国語を仕事にした著者が、語学没頭の日々、効果的な学習法、人との出会い、言葉や文化の魅力を語る。語学学習者、必読の名著。新たに1章を増補。
目次
第1章 三十六歳からの中国語
第2章 「新しい自分」を生きる
第3章 自分の世界を広げる
第4章 ひとり中国を行く
第5章 私の本当の旅がはじまる
補章 「新・台所から北京が見える」より
著者等紹介
長澤信子[ナガサワノブコ]
1933年、東京都生まれ。日本女子大学附属高校を卒業。専業主婦15年ののち、36歳から中国語をはじめ、40歳で中国語通訳となる。77年に和光大学中国文学科に入学、81年に卒業。通訳・ガイドとして活躍したほか、中国語教室を主宰した。2007年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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yomineko@ヴィタリにゃん
72
長澤さんの時代は中国と国交正常化もしておらず、持ち運び出来るラジカセも満足な教材さえもなかった。36歳で一念発起し僅か4年で通訳になられた努力の鏡、神様の様なお方。旦那様が「運が良かった」と書いていてビックリ!いや、語学は運とかそういうものではないと怒り震えた。息子さんは幼少時から出来た人で長澤さんに反発しつつも応援していた😊この本から学び取れる事は多々ある。年齢を言い訳にしない。良い教材がない、時間がないも言わない。全ての語学学習者に対するエール的な本。黒田龍之介先生の解説も非常に良かった。2023/09/18
文公
33
優しく語りかけてくるような文体ながら、ものすごい熱量がこもったエッセイ。自分も社会人になってから語学を始めた身ながら、著者の行動力・忍耐力にはただただ驚くばかりだった。黒田龍之助先生の『ロシア語だけの青春』、稲垣美晴さんの『フィンランド語は猫の言葉』と同様、生涯何度も読み返すであろう、珠玉の語学エッセイだった。2023/08/26
eiro
19
絶版から復刊された名著、もとは昭和58年刊行の本。著者は日中国交正常化前から36歳で中国語の勉強を始めた主婦だった。家族の理解もあり、その間看護学校にも入学し准看の資格を得て就労、中国語勉強の学習費用も捻出。その後は中国の理解を深めるために和光大学に入学卒業した。読んで思うのは、熱心になどとは形容しがたい中国語への情熱だ。努力の末に中国語に半生を捧げることができた著者がうらやましい。国交正常化前のため教材らしいものがなく、短波放送まで受信したとは。私もある外国語を習得するに遅くはないだろうか。2023/07/21
電羊齋
15
自分も中国語を仕事にしているので読んでいて頷ける点が多かった。特に朗読練習の大事さについてはその通りだと思う。時代は変わっても、語学学習の基本は変わらないのだろう。70~80年代の中国についての記述も非常に興味深かった。それにしてもいろいろな物事にチャレンジし、それを成し遂げていく計画性と行動力とバイタリティには敬服せざるを得なかった。そしてなにより、何かを始めるのに「遅すぎる」ということはないということがわかった。とかく言い訳を探しがちな自分に大いに恥じ入った次第。やはり名著。2023/07/08
さとうしん
14
中国語の通訳となった主婦の目から見る70~80年代の中国語をめぐる状況。特に70年前後は中国語の母音など発音については現在のようなメソッドがなかったらしいことなど、驚かされることが多い。そして中国語の学習には何かと費用がかかる→主婦が出来る仕事を探す必要があるということで看護婦の資格を取ろうと看護学校に通い出したり、著者の発想とバイタリティにも驚かされる。しかもそれが後々役に立ってくるのである。また当時の中国の旅行事情も興味深い(コロナを経て当時より中国に旅行しづらくなっているのが悲しいが)。2023/07/10