出版社内容情報
少女は聖人を産むことなく自身が聖人となれるのか? 著者の代表作にして性と生と聖をめぐる少女小説の傑作がいま蘇る。書き下ろしの外伝を併録。
内容説明
「でもわたしは美しい死体にはなりたくない」―“美しき死”へ少女たちを塗りこめ、観賞用の素材に変えようとするこの世界のあまたの罠から逃れるために、窓の外へと飛びだした“わたし”の行く末はいかに―。ことばの力で生きのびていく少女たちのためのもうひとつの“聖書”。著者の代表作にして性と生と聖をめぐる少女小説の傑作が、あらたに書き下ろされた外伝「声のおとずれ」を伴って、いま蘇る!
著者等紹介
多和田葉子[タワダヨウコ]
1960年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒、ハンブルグ大学大学院修士課程修了、チューリッヒ大学博士課程修了。1982年、ハンブルグへ移住。現在、ベルリン在住。日本語、ドイツ語の双方で創作活動を展開している。主な作品に「かかとを失くして」(群像新人文学賞)、「犬婿入り」(芥川賞)、『ヒナギクのお茶の場合』(泉鏡花文学賞)、『容疑者の夜行列車』(伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞)、『雪の練習生』(野間文芸賞)、『雲をつかむ話』(読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
312
この小説の中を流れる時間、そしてリアリティのあり方は、本質的に他の通常の小説とは違っている。しいて先例を求めるとすれば、安部公房のそれが最も近いだろうか。小説は一貫して語り手である「わたし」の極めて主観的な一人称語りであり、それはもう妄想と呼ぶこともできるような性質のものだ。そして、そんな「わたし」の時間と空間に闖入し、揺るがすものたち。例えば鶯谷の存在がそれであり、また唐突に口を衝いて飛び出してくる聖書の言葉だ。それもなんだか怪しげな。また繰り返されるトロンボーンのソの音も終末を伝えるかの如きである。⇒2016/11/26
ちなぽむ and ぽむの助 @ 休止中
146
わたしの口から飛び出した大切なコッペパン、あなたの為なんかじゃないのよ殺してしまいたい。腹のなかで第三者が繁殖する。流れでる眼球どうしようもなく女になるということ。きたないきたない。ふくらむ胸切り落としたい?ちがうそうじゃない。‹でも、聖者は同性の聖者しか愛さないことに変わりはないんですね。›精霊がわたしの口を使うの切り裂いて世界。耳を出して沼は血のいろ踊るアメーバ、分裂して。聖人なんて産みたくない。‹それじゃ、また、ごきげんよう›わたしは落下傘ですさようなら。美しい死体になんかなりたくないのです。制止。2020/05/10
KAZOO
131
わたしは多和田さんの本はまだ数えるくらいしか読んでいません。しかも随筆中心なので文芸作品は「ボルドーの義兄」という実験小説のような感じのものだけです。これも読んでみてそのような印象を受けました。あまり難しい言葉などは出てこないのですが、読んでいて何かしらな今に読み終わったなあという感じでした。もう少し他の本も読んでみて再度読み直そうかという気になりました。2016/04/18
take0
28
よく分からなかった、とも思う。大筋としては少女の9歳から高校3年までが語られているが、内容としては語り手の妄想とも迷妄ともとれるようなエピソードが綴られていて、或いは少女の心象のドラマなのかとも思う。意味不明で不条理な登場人物、頻繁に引用される聖書からの言葉、強調される血のイメージや身体的メタモルフォーゼに纏わる描写の多出、少女に纏わりつく不安感、不穏感。最後の最後まで明確な読みを逃れるかのようで、それらは総体としてではなく、ただ部分の連なりとして収まり悪く受け取るしかないものなのかも知れない。2019/03/14
あんこ
23
さらりとおぞましく、とてつもなく静謐でうつくしいところに連れてこられた気分。美術を研究していたときに、避けて通れなかったキリスト教の知識がようやく役に立った。不快なのに、読む手を止められない。俗と聖の間で見えないものに抵抗していく少女を追う手を止められない。この物語を読むと、一気に俗から引き剥がされるきがする。2016/03/30