内容説明
富岡製糸場は日本初の器械化された官営製糸場で、規模は当時世界一。本書は、そこで伝習工女となり、その後長野で日本初の民営器械化製糸場(六工社)の指導員となった女性が書いた日記。明治初頭、周囲の期待を背にプライドをもって仕事に臨んだこの記録は、近代殖産興業、女性の社会参加の貴重なドキュメント。日本の近代製糸業がわかる文化遺産と施設の案内付き。
目次
富岡日記(私の身元;この時の人名;父よりの申渡し、母への誓い;姉と僕との餞別;出立―付添の人々 ほか)
富岡後記(六工社初見物;六工社初製糸並びに私の病気;六工社開業式と同行者の等級;六工社工女の選み方並びに工女取締;私の病気見舞並びに入場 ほか)
著者等紹介
和田英[ワダエイ]
1857(安政4)年、信州松代に松代藩士の娘として生まれる。1873(明治6)年4月、15歳で同郷の女子15名とともに群馬県富岡の官営富岡製糸場の伝習工女となる。翌1874(明治7)年7月に退場し、8月に長野県西條村に開設された日本初の民営器械製糸場(後の六工社)の技術教師となり、その後、県営長野県製糸場の製糸教授になった。1880(明治13)年に同郷の軍人和田盛治と結婚し家庭に入る。1929(昭和4)年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kana
54
期待を超える面白さで文体に慣れてからは一気読み!実際に富岡製糸場で働いていた女性の日記というから日々の小さな悩みや成長、女子校的な悲喜交交が綴られているのかと思うじゃないですか。実際はそんな甘っちょろいものではなく、10代半ばで富岡で一心に製糸技術を学び、国元で民間初の製糸場の立ち上げに携わる逞しい女性の生き様が描かれています。家族を恋しく思い、服装やお化粧を気にする等身大の少女の一面と生糸の品質管理や工女のマネジメントなどで試行錯誤しながらリーダーシップを発揮する姿のギャップに逆にリアリティを感じます。2020/02/26
Gummo
41
富岡製糸場で一等工女となり、その後地元の長野・松代で日本初の民間器械製糸工場の指導員になった女性の回想録。国と地元の繁栄のために、また父母の名誉のために、矜持をもって一心に仕事に取り組む姿が美しい。「寄宿舎付きの職業訓練校」としての性格を持っていた初期の富岡製糸場の様子をよく伝えている。★★★★☆2014/09/13
こぽぞう☆
18
富岡製糸場を見学に行って、売店で購入。7満15歳の少女が富岡製糸場開業にあたり、機械式の製糸を同郷の少女たちと働きに、そして技術を学びに行く。彼女たちの多くは武士の娘たちである。明治6年という製糸場の開業。その頃の風俗、愛国心、愛郷土心、色々面白い。富国強兵、殖産興業の向こう側にあった日本極初期の「職業婦人」たちは、主に10代だったのだ。2019/06/07
コーデ21
14
若い工女・和田英さんの語る富岡製糸工場での働きぶりや生活ぶりが活き活きと描かれていて圧倒的な面白さでした! 製糸技術の向上を目指す彼女の奮闘はすさまじいばかり。団体生活を送る工女達の暮らしぶりも、富岡から地元の民営六工社に移っての様々な葛藤も実にリアル。近代化にひた走る明治期の息遣いが生々しく伝わってきました。なによりも感服するのは彼女の働く者としての「矜持」☆ 巻末の製紙産業についての解説や施設ガイドも興味深く読みました。まだ未踏の地である『富岡製糸工場』、コロナ収束の暁にはぜひとも訪れてみたい♪2020/04/16
シロうさぎ
14
世界遺産となった富岡製糸場。工女第一号となった英さんの回想録です。開所当時は、福祉・技術・労働等あらゆる面で日本国最先端の模範工場を呈していた為かお話しに暗さは無く、15才の女性らしく全てが楽しさと驚き希望、ちょっとした悩みなど当時の工女の生活が良く読み取れて面白かった。富岡製糸場に行くならばまずの一読お勧めです。見学が100倍面白くなる事請け合いの本です。2015/05/13