出版社内容情報
「能」は、旅する「ワキ」と、幽霊や精霊である「シテ」の出会いから始まる。そして、リセットが鍵となる日本文化を解き明かす。
内容説明
能の物語は、生きている「ワキ」と、幽霊や精霊である「シテ」の出会いから始まる。旅を続けるワキが迷い込んだ異界でシテから物語が語られる。本書では、漂泊することで異界と出会いリセットする能世界、そして日本文化を、能作品の数々を具体的に紹介しながら解き明かす。巻末に、本書に登場する46の能作品のあらすじを収録。
目次
序章(台北での体験から;ワキがある「ところ」に行きかかり、シテと出会う ほか)
第1章 異界と出会うことがなぜ重要か(定家(一)不思議な墓
定家(二)心の秋 ほか)
第2章 ワキが出会う彼岸と此岸(無力なワキ;「旅」がワキのキーワード ほか)
第3章 己れを「無用のもの」と思いなしたもの(「空洞」な旅人;敦盛(一) ほか)
第4章 ワキ的世界を生きる人々(ワキ的世界に入れる人、入れない人;芭蕉は能の旅をしたかった ほか)
著者等紹介
安田登[ヤスダノボル]
1956年生まれ。能楽師、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
獺祭魚の食客@鯨鯢
72
シテが生前の残した未練を観衆に訴えかける擬似怨霊とすれば、ワキはそのような悲運の人物への情感が強いスピリチュアルな存在だと思います。 西行や芭蕉が各地を紀行し、先達が残した記憶をたよりに往時を偲び歌を詠んだように、舞台上で主役であるシテの登場を促す役割を持っていると思います。 観衆は亡き人物への同情を通し自分に準えながら、個人個人の暗い過去へのカタルシスに達するのでしょう。2020/02/29
Bo-he-mian
19
最近の思考が「能」に染まっているのは、この本のせい(にしてはいけないのだが・笑)。以前から気になりつつ、どこかとっつき難さを感じていた「能」が、実は自分自身が若い頃からずっと繰り返してきたそのものズバリなのだと気づかせてくれたのが本書。ここで云う能とは、超現実的存在が登場する「夢幻能」の事だが、その物語構造と精神性を判りやすく紹介。あ、能って要するに幻想文学なんだな、という当たり前の事に今更ながら気づいた。能楽師である著者の安田登氏は漢文の専門家でもあり超知識人だが、非常に読みやすい文章が素晴らしい。2021/06/21
Bartleby
18
本書の著者がきっかけで能楽をかじってみたが知れば知るほど奇妙な舞だ。所作の動きの速度を遅らせるのは速めるよりずっと難しい。武士が舞った時代はもっと速かったという説もあるが。そもそも、本書に詳しいように、大半が、旅の者が亡霊と出会う物語であるというのもユニーク。舞というより降霊の儀式に似たものと捉えればいいのか。そういえば、本書を読んでると、哲学者ジャック・デリダの“亡霊論”が能楽のことを言っているとしか思えなくなってきた。2022/11/15
luther0801
17
▼読書会課題本。▼能の世界観や、それを生んだ日本・大和の文化背景が説明された本。▼孤独を芸として表現する能は、日本に根付く、死生観やリセットの概念を、シテとワキという対極の立ち位置から表している。▼ちょっと難しかったが、読書会で色々な方の感想で、この本に共感する方が多いのは、ちょっと驚いた。自分に、この世界観が無いのだろう。2016/03/20
安国寺@灯れ松明の火
16
吉本ばななさんは、あるレベルの技術がないと偶然に何かが降りてきたときに形に表せないという意味で、「技術は偶然にアクセスする最低限のもの」という表現をしていました(※) ほとんどの能が、旅の途中のワキが「偶然」に人ならざるシテに出会う構成になっているという本書のテーマにもどこかで通じる気がしたのですが、能などの伝統芸能がきっちりと決まった「型」を重視しているのも、この点と関係が深いような気がします。ワキにカウンセラーの役割を見出しているのも非常に興味深いところです。2015/11/05