内容説明
フラナリー・オコナーは難病に苦しみながらも39歳で亡くなるまで精力的に書き続けた。その残酷なまでの筆力と冷徹な観察眼は、人間の奥底にある醜さと希望を描き出す。キリスト教精神を下敷きに簡潔な文体で書かれたその作品は、鮮烈なイメージとユーモアのまじった独特の世界を作る。個人全訳による全短篇。上巻は短篇集『善人はなかなかいない』と初期作品を収録。
著者等紹介
オコナー,フラナリー[オコナー,フラナリー][O’Connor,Flannery]
1925‐1964。アメリカの作家。アメリカ南部ジョージア州で育つ。O・ヘンリー賞を4回受賞し、短篇の名手として知られる
横山貞子[ヨコヤマサダコ]
1931年生まれ。京都精華大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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buchipanda3
111
アメリカ南部出身の作家による作品集。短篇の名手として知られるだけあって面白く読めた話が多かった。これは結構クセになる。一本読むとまた次もという感じ。舞台はジョージア州(著者の出身地)など南部の田舎だろうか。20世紀半ば、この付近の風土はこうだったのだろうと思わせる描写に興味がそそられる。今風の洗練された合理的な社会とは違う、人間味のある卑しさがどこか懐かしい。利己的な悪意の安易さというか。呆然となる終わらせ方も印象的。冒頭の話など単純なようで善人とはと人間性を見据えるような深みを感じさせる。下巻も読む。2021/05/09
パトラッシュ
87
カトリック作家は人の罪深さ醜さの実態を容赦なく暴く。特にオコナーが描くのは教育も情報もなく差別と偏見に凝り固まったアメリカ南部のプアホワイトだけに、ごく静かに進んできた物語が突然思いがけない暴力や恐怖の形で爆発するのだ。いきなり説明もなく生の本質をナイフで切り取るように提示されるのだから、何が起こったかわからず呆然とした読者は好き嫌いがはっきり分かれてしまう。ここまで犀利な短篇小説を書くテクニックは、現代日本作家に最も欠けているのではと思える。集中では「善人はなかなかいない」と「田舎の善人」が強烈だった。2021/06/19
miyu
47
著者の視点はどこまでも冷静で全編を通して揺るぎない。まるで神の視点のようなそれは強い信仰心と生まれのせいなのか。どの作品にも少しばかりズレた一瞬我慢のならない人物が出てくる。だが読み進めていくうちに彼らが自分と何ら変わりのない、単に平凡でそれだからこそ些か面倒くさい人に過ぎないと気がついた。凡庸というのはこうもややこしいものかと、作者の目を通して我が身を振り返った。格好つけて偉そうなことを口にしたりやろうとしても、そんなのはお見通しだし意味ないよねと作者のクールな視線に指摘されたような気がした。よかった。2017/07/02
藤月はな(灯れ松明の火)
34
文集文庫の『厭な物語』に収録されていた「善人はなかなかいない」の作者の舌を刺すほど、冷たくて渋くて激辛な短編集。なぜなら、人間が見たくない人間自身の厭な部分とそれによって生かされている社会システムが細部まで拡大された様な話ばかりが収録されているからです。「河」の神の洗礼を受けた筈の「特別な」子供の末路や「生きのこるために」のキリスト教義がニーチェのようなルーティンワーク的偽善と化していることを抉り取るなど宗教面でも容赦ない冷徹な視点が当てられています。「人造黒人」の差別的思考も今もあるからこそ、息苦しい。2015/11/06
かわうそ
32
どの話もなかなかに重くて続けて読むのはキツいので下巻は少し時間をおいてから読みます。お気に入りは「善人はなかなかいない」「田舎の善人」「強制追放者」あたり。2018/04/28
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