著者等紹介
林芙美子[ハヤシフミコ]
1903‐1951。福岡県門司市の生まれ。本名フミコ。幼いころより家庭的に恵まれず、尾道の学校を卒業して上京、さまざまな職業と男性遍歴のかたわら詩や創作に打ちこむ。昭和4年、詩集「蒼馬を見たり」を刊行、翌年の「放浪記」によって一躍文壇に知られた。旺盛な仕事のさなかに心臓麻痺で急死(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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藤月はな(灯れ松明の火)
90
お金がないからこその遣り切れなさ、どうしようもなさ、それでもしなやかに図太く、生きる市井の人々を闊達に描いたら、林芙美子を右に出る者はいないだろう。「泣虫小僧」は啓吉の視線が瑞々しい分、終盤に畳み掛けるような現実の無常さに息を呑む。「夜猿」も絶品だ。前半は青木繁の最期までの日々を描く。その中で浮かび上がる彼の最大の秀作とされる「女の顔」への思い入れ、それ故に「生きたい」と強く、願い、溢れた薬をも舐める姿に圧倒される。後半からは彼の絵を愛した資産家一家の流転となる。そんな中、不条理な人生への挽歌が救いだ。2019/06/23
優希
51
やりきれなさを感じます。どうしようもない状況に置かれている人々。それでもしなやかに動く姿があるのですね。哀愁を見てしまいます。寂しい空気感の中にあたたかさがあるのかもしれません。2022/02/25
ころこ
43
『風琴と魚の町』近代文学は前近代的なムラ社会に対する自意識をテーマとすることが多いが、少女には反抗する故郷すらない。流浪者が愛着を持つのは、両親と共に旅をする風琴のみである。『清貧の書』現在の我々は社会の発展段階を俯瞰して想像することが容易だが、登場人物たちは苦しいだろうが今の人間のように不安を抱かないからだろう。それだから妙に明るく、健気で、サバサバしている。『泣虫小僧』主人公が男の子に替わるが、複雑な家族関係、明るくその場かぎりの感情、人生に対する諦めと目標の無さ、筋のつながりのなさは共通している。『2025/07/13
ryohjin
15
戦前昭和の小説を読みたいと思い手に取りました。中短篇の10篇が収録されています。大半は庶民の貧窮の生活が、それぞれ立場の違う女性を中心に描かれています。そこに明るい希望はありませんが、かといって絶望的でもない。ともかくもこれが生活なのだと受け入れて生きていく。田辺聖子さんのあとがきで「人間を描くのに、情が濃い」としているように、描かれた生活の中にに一定の温度の高さを感じました。居心地が良いわけではないのですが、なにか離れ難い、そんな読後感となりました。2025/05/18
桜もち 太郎
11
初めての作家でした。10の短編すべてに男女子供たちの貧しさや死が描かれています。どの人物も貧困の中にも世間の土台に根差していこうとする姿が見えます。それは図ったようではなく素直な本能としての在り方のように見えます。解説で田辺聖子さんが作者の言葉として紹介しています。「小説は工夫や技術ではありません。その作家の思想なのです。人間をみる眼の旅愁を持つか持たぬかの道です」と。なるほど「人間をみる眼の旅愁を持つか持たぬか」 それが登場人物に現れていると実感しました。やはり技術工夫だけの小説は読みたくありません。2015/07/18