内容説明
内戦下の南アフリカ。手押し車に病気の母親を乗せて、騒乱のケープタウンから内陸の農場をめざすマイケル。道々待ち受けるさまざまなかたちの暴力にマイケルは抵抗し、自由を渇望する―。全篇を通じ、人間の本質を問いかける緊迫した語りに圧倒される。2003年にノーベル文学賞を受賞した作家クッツェーが、世界的名声を獲得した記念すべき作品。1983年ブッカー賞受賞作。
著者等紹介
クッツェー,J.M.[クッツェー,J.M.][Coetzee,J.M.]
1940年ケープタウン生まれ。米国テキサス大学で博士号取得。ニューヨーク州立大学で教えたのち南アフリカに帰国、2000年まで母校ケープタウン大学で文学、言語学を教える。2002年からはオーストラリア在住。1974年「ダスクランド」を皮切りに次々と小説や批評を発表。『マイケル・K』で1983年ブッカー賞受賞。1999年「恥辱」でブッカー賞史上初の二度目の受賞を果たし、2003年にはノーベル文学賞に輝く
くぼたのぞみ[クボタノゾミ]
1950年北海道生まれ。翻訳家・詩人(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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sin
43
主人公は自然と一体化する、最早大地に溶け込んで食事すら必要としないほどになっていく…母親と暮らしていた頃は社会から顧みられない主人公だが街を離れて母親の故郷に赴いてからは、否応無しに周りからの干渉を余儀なくされる、権力・医療、いずれも彼にとって押しつけでしかなく、そのうえそれぞれが望む事を語ろうとしない彼が理解される事はなく身に覚えのない役割や人格すら押し付けられる。だから自分を消し去ろうとするのか人間同志の営みを離れて?2014/11/29
ネムル
27
10年ぶりに読み返す。老人介護版『ザ・ロード』と記憶していたが、母親は開始早々に亡くなってた。容赦ない暴力とお役所仕事のたらい回し、アパルトヘイト下の動乱をよく伝える。また一方で、Kのほんの少しの自由を希求する様はアパルトヘイトに限定されない、より普遍性のある文学として印象深い。生きづらい世の中が急加速した、いま読み返すと一層のこと。骨灰を大地に還し、畑を耕すKに『カンディード』の遠い系譜を夢想した。ああ、カボチャが食べたい。2020/02/05
ユーカ
27
人は皆、獏としたイメージを持って生きているのだろうが、実際に私たちを取り巻く世界の中でそのイメージどおりに生きるのはほとんど不可能なのかもしれない。そのイメージを戦時下の南アフリカで貫こうとしたのがマイケルKで、彼を愚か者だと僕は断言し難い思いがある。大地に一粒ずつ種を蒔いて歩きたいと願う、精神よりも強靭で愚直な肉体を持った庭師。自由を渇望し、そのためには金を物を、食物さえも拒否する。やはり、愚かなのだろうか? Kまで突き抜ける事はとても出来ないくせに、イメージにしがみついている僕のほうが、ずっと愚かだ。2015/11/06
たー
27
大地に根ざすことを選び世捨て人のようになってしまった主人公により、人類の間で作られた主従関係の無意味さが浮彫りにされる。ちょっと重くてなかなか読み進めなかった。2015/03/21
長谷川透
27
マイケル・Kはケープタウンから内陸の農場を目指すがこの小説を読む読者も人間というものの根幹に肉薄していくだろう。戦争は暴力の最たるものであるが、自然を破壊し都市を構築することも人間を区別し区分けをするアパルトヘイトも生れ落ちた躰にメスを入れる医師の手も暴力に違いないのだ。暴力に朽ちていく者たちの中にいて、マイケル・Kは暴力に抗い続ける。このように書くと何か勇気が貰えるような小説のように思われるかもしれないがこの小説がくれるのは勇気ではない。まだ名付けることはできないが、強く胸を撃つ何かを得ることができる。2013/05/20