内容説明
ピアスや刺青をすることの意味とは?コムデギャルソンやヨウジヤマモト等のファッションが問いかけているものは?そもそも人は何のために服で体を隠すのか?隠すべきものの実体は?若い人々に哲学の教授が身体論をわかりやすく説いた名著、ついに文庫化!「制服を着崩すところからファッションは始まる」。
目次
1 つぎはぎの身体(みっともない身体、ひきつる身体;こわれやすい身体―“像”としてのからだ ほか)
2 みっともない衣服(社会の生きた皮膚―ひとはいつ服を着はじめるか?;服を着くずす―ファッションの発端 ほか)
3 ふつりあいな存在(だぶだぶの服;用意をしない服? ほか)
4 衣服というギプス(“最後のモード”(la derni`ere mode)―ファッションの閉塞感 ほか)
著者等紹介
鷲田清一[ワシダキヨカズ]
1949年京都生まれ。1977年京都大学大学院文学研究科(哲学)博士課程修了。関西大学文学部哲学科教授を経て、大阪大学大学院文学研究科教授。『分散する理性』『モードの迷宮』により、1989年サントリー学芸賞受賞。2000年『「聴く」ことの力』により第3回桑原武夫学芸賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
376
哲学者、鷲田清一氏による身体論哲学入門といった趣きか。私たちは自分のものでありながら、自らの身体の全てを見ることはできない。殊に他者に対して最も情報を開示している自分の顔(表情)を見ることができないのだ。そして、私たちは本来は思惟することを強いるはずの、身体に対する思惟をなおざりにしているのである。本書はまた、ファッションあるいは衣服を身につけることの記号学的意味をも教えてくれる。そして、男性が女性に比して、いかに制度にがんじがらめになっていたのかも知ることになる。マニッシュな女性のファッションは可能⇒2017/02/14
コットン
79
文庫本のあとがきとして「十代向けのシリーズの一冊としてこれを書いて、」とあるが、自分が十代の時のことを考えると難しいのではと思うが…。最近の子は頭が良いのかも。 というのも「ファッションて何?」と副題が簡単そうで一見サラッと書かれているかに感じるが、どうしてどうして!ファッション以外にアート、建築、哲学を縦断して女性の(時に男性の)体を包むものとしての服についての鋭い考察があるからだ。軽い哲学書と言ってもいいくらいです。2022/06/19
zirou1984
52
自分たちの思考は頭脳から立ち上っているのだろうか、それとも、身体から現れてくるものだろうか?おそらく、それは二律背反的という訳ではなく、むしろ思考というものは頭脳から立ち上り身体の補正を受けて現れているのだろう。同様に、ファッションは自らの身体感覚を補正し、それに文化的コードを加えて思考を規定している。無垢な思考など存在しない。そもそも私たちは、自分たちの皮膚ですら満足に着こなせていないのだから。「わたし」について考えるために、最も身近で表層的なところから始める10代に向けての哲学入門書。2016/01/26
ころこ
27
漢字が少なく、表現が非常に平易で、たやすく読めます。ですが、何かを揺す振られる感じが残ります。人文書を途中で断念する恐怖から解放してくれて、「読後感で考える」ことが出来る、非常に稀有な本です。さて、ファッション論として読むべきなのでしょうが、そういうのに興味が無い読者のために、一種のコミュニケーション論として読むと、議論の整理に役立ちます。自分と世界との間には、常に摩擦が起こります。摩擦が無いひとの方が珍しいでしょう。本書における摩擦とは、肌と衣服の摩擦ですが、ひとと世界の摩擦は目に見えないため、衣服を通2018/05/27
ミエル
23
ファッション=ヒトの内面を守り見せたい自分を演出するものするもの、分析と考察を重ねものづくりに昇華するものだと学んできた。(前職の頃ね)で、こちらはそこに哲学方面からの意味付けが加わり、より深い、と言うよりメタ視点での「纏う」行為に迫っている。確かに、何を纏うかでヒトは変わる。たいていの現代人は、年齢や社会的立場、居住地でファッションスタイルを変える行為を難なくこなしているけれど、実は深い理由と裏付けがある。人は見た目が9割、まさにそれ。何を着てどんな自分を見せたいか?これを考えるとさらに服に悩むけど笑2023/08/16
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