出版社内容情報
己の眼で見ているこの世界は虚像に過ぎない。自我を超えた「無為自然の道」を説く、東洋思想が生んだ画期的な一書を名訳で読む。
内容説明
自己研鑽し、知識を増やすことは、かえって人間を不幸にするのではないか―才知がものをいい、相手を出し抜き、騙すことまでもが出世につながる中国戦国時代の中で、老子はそう考えた。そして農村の自然で素朴な生活に人間の幸せな生き方を見出し、「無為自然」の境地にいたる。無為とは不必要なことは行わないという意味で、孔子をはじめ儒家が貴ぶ学問も、自我を肥大化させるだけの不必要なものと批判した。競争社会を強く否定する老子の思想は、生き方に迷う多くの日本人を魅了してきた。己れの無力を知り、自由に生きるための知恵を、碩学・福永光司の名訳と詳細な注釈で読む。
目次
上篇(道経)
下篇(徳経)
著者等紹介
福永光司[フクナガミツジ]
1918‐2001年。中国思想史家。老荘思想・道教研究の第一人者。京都大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬弐仟縁
35
第30章で、「物壮なれば即ち老ゆ。是を不道と謂う。不道は早く已む(115頁)。=物はすべて威勢がよすぎると、やがてその衰えがくる。くれを不自然なふるまいという。不自然なふるまいは、すぐに行きづまるのだ(116頁)。後は、これは、というものの、書き下し文と現代語訳を音読してみた。「学を為せば日に益し、道を為せば日に損す。之を損し又た損して、以て無為に至る。無為にして為さざる無し。天下を取るは、常に事無きを以てす。其の事有るに及びては、以て天下を足らず」(187頁)。2018/02/27
テツ
23
外国語、カタカナを大量に含むかなりオリジナリティ溢れる現代語訳。でも本質は変わらない。無為。無為。ひたすらに無為。この世界に歩まねばならないただ一つの道などはないし、個人個人の生き方として正解もきっとないのだけれど、それでも正解に近い方向を指し示してくれる思想というものは存在していると信じたいし、老子で説かれるいくつかの言葉はその道標であると思うのだ。死後太上老君として神にまでなった老子の言葉を学び、より良い(善い)道を探し当てたい。2019/09/21
中年サラリーマン
9
ご存知中国古典。無為についてとうとうと語っている。日本人の心情に一番マッチする考え方ではないだろうか。2013/08/16
エチゴヤ
6
哲学書系かと思ってたら、意外に民の治め方が語られていてびっくりしました。当時のニーズ的な問題なのかな。現代語訳にギリシャっぽい哲学用語とか出てきて新鮮。2014/08/09
4
老子の翻訳本は何冊もあるが、この本の翻訳は単なる逐語訳ではなく、著者による東洋哲学、西洋哲学研究全般の知識の中から総合的に解釈をして、訳文を作成している。老子の哲学は「存在」の哲学である。最近ハイデガーを読んだが、ハイデガーの「存在」と老子の「道」は近い概念であると感じた。理性による自然の分割を批判し、分割以前の自然存在そのものに価値を見出そうとする思想は、ロマン主義的、ポストモダン的である。老子がポストモダン的であるならば、人間の哲学的思考というのは、同一空間をぐるぐる回っているだけなのかもしれない。2013/10/16