ちくま学芸文庫<br> ピカソ「ピカソ講義」

ちくま学芸文庫
ピカソ「ピカソ講義」

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  • サイズ 文庫判/ページ数 185p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784480092434
  • NDC分類 723.36
  • Cコード C0170

出版社内容情報

内容は後日登録

内容説明

講義は岡本がフランスに渡り、そこでピカソの抽象画に出会うところから始まる。「身体中が熱くなって、その絵の前で、心身が爆発するような思いだった」という言葉のまま、岡本はピカソをナマ身に抱き、闘い、そして一体感をもって語りつくす。それは目の前にそびえ立つ強烈な存在を全身全霊で乗り越えていく岡本の苦闘の軌跡でもある。本書はピカソ絵画を多数収録。宗の巧みな導きにより、ピカソ作品の具体的な魅力を紹介しながら、その創造の本質にせまる。情熱と感動と深い洞察により天才の真の姿が今蘇る。

目次

第1講 ピカソ体験とパリ
第2講 ピカソ芸術の変遷
第3講 ピカソを超える

著者等紹介

岡本太郎[オカモトタロウ]
1911年生まれ。東京美術学校に入学後半年で中退。18歳で両親とともにパリに渡る。多くのフランス思想家たちとも親交を結ぶ。帰国後、万国博の「太陽の塔」など多くの作品をつくる。また縄文土器や、沖縄・東北などに残る日本の伝統文化の再評価にも努めた。1996年没

宗左近[ソウサコン]
1919年生まれ。東京大学哲学科卒。法政大学教授、昭和女子大教授を務める。詩の創作、仏文学翻訳・評論でも知られる。2006年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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roughfractus02

8
パリの画廊でのピカソ作品との出会いはナマのピカソに出会うの同じだと捉える著者は、作品が芸術家と共にあるというピカソの考えをその作品に直観する。一方、聞き手の宗左近にピカソを語る著者がピカソを通して自らを語ると、19世紀までの美術史を否定し、さらに自らの作品も否定しながら芸術家に留まったピカソに対して、複雑な20世紀に生きる自分は芸術家を逸脱して「人間」となる必要を説く姿が見えてくる。著者は、縄文のような時代を超えた芸術の普遍性への信念と誰もが芸術創造に関わる現代という一見矛盾するビジョンを掲げつつ進む。2023/03/27

氷柱

7
774作目。10月28日から。インタビューをまとめるのが大変そうだなというのが何よりの感想。取り留めがないけれど内容はかなり肉厚である分、話を追いかけるのに必死にならざるを得ない。ピカソという人物に対する岡本太郎氏の論評が繰り広げられている。つかみどころがなく常に前進し続けるピカソをどのように捉えているのか、またピカソを通じての岡本氏の芸術観、ひいては人生論が綴られている。圧倒されるのではなくむしろ圧倒していくというスタイルにとてつもない強烈さを覚えた。書籍としては薄いのにも関わらずかなりの体力を使った。2021/10/30

羊の国のひつじ

7
間違えて買った本第1弾。ピカソの絵も岡本太郎もあんまり知らないけど、絵を描く意味がこんなに複雑であることには驚いた。ただ単純に好きなものを描いているのでは、ただの才能ある絵描きになっちゃうのだろう。2017/04/02

yuzyuz_k

7
これを読んで、ピカソの凄さまも分かりますが、太郎の凄さも分かります。私は読みながら、岡潔、小林秀雄、夏目漱石、川端康成、岡本かの子、荻生徂徠等が頭の中で、いろんな部分で繋がり思い浮かんで来ました。太郎の表現、アクションファーストの姿勢、時間と空間を越えて、いつもエネルギーを貰える感じがします。2016/09/18

OjohmbonX

5
ピカソって実は完全な抽象画は描いてない。どんだけ抽象的でも物を表象してる点は捨てなかった。だから、19世紀的な自然主義を乗り越えながら、自然主義に留まったって存在なんだ。そして彼は才能が有り過ぎたせいで絵画からも離れなかった。神に祭り上げられ(どんな無茶な絵を描いても評価され)、絵画からも自然主義からも離れず、晩年はアトリエに閉じこもる、そうした限界を孕みながらもなお、自身の否定という運動を貫徹したピカソを、岡本太郎として越えるとは一体どうやるんだ、安易さを絶対に拒絶しながらどう可能なんだ、って話だった。2013/04/26

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