内容説明
近代哲学の父にして偉大な数学・物理学者でもあったデカルトが、『方法序説』の刊行後、形而上学にかかわる思索のすべてを、より精密に本書で展開。ここでは、一人称による六日間の省察という形式をとり、徹底した懐疑の積み重ねから、確実なる知識を探り、神の存在と心身の区別を証明しようとする。この著作は、その後、今日まで連なる哲学と科学の流れの出発点となった。初めて読むのに最適な哲学書として、かならず名前を挙げられる古典の新訳。全デカルト・テキストとの関連を総覧できる註解と総索引を完備。これ以上なく平明で精緻な解説を付した決定版。
目次
ソルボンヌ宛書簡
読者への序言
概要
第一省察
第二省察
第三省察
第四省察
第五省察
第六省察
諸根拠
著者等紹介
デカルト,ルネ[デカルト,ルネ][Descartes,Ren´e]
1596‐1650年。フランス、トゥレーヌ州の法服貴族の家に生まれる。イエスズ会系のラフレーシ学院でスコラ哲学や数学を、ポアティエ大学ぶ法学と医学を学ぶ。欧州を転々としながら、科学者たちの知己を得、数学や光学の研究に携わる。1628年以降、オランダに移住。『方法序説』『哲学原理』などの著作を遺し、近代哲学の基礎を築いた。紹聘先のストックホルムにて死去
山田弘明[ヤマダヒロアキ]
1945年生まれ。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院博士課程修了。西洋近世哲学専攻。名古屋大学大学院文学研究科哲学講座教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
かわうそ
44
『それでは私の誤謬はどこから生じるのであろうか?すなわちそれは、意志は知性よりも広範囲に広がるので、私が意志を知性と同じ範囲内に限らないで、私が理解していないものにまで押し及ぼすという、ただ一つのことからである。そうしたものに対して意志は非決定であるのでら容易に真と善から逸れ、かくして私は誤り、罪を犯すのである。』92 まず意志は無限大であるのだから人間は発展していけるだろうという啓蒙主義が見え隠れしている。さらには、意志と知性との乖離による誤謬を防ぐために方法的懐疑の重要性を暗に示しているのです。2023/09/05
内島菫
26
他の人の感想にもあったが、訳者が解説するように、デカルトのいう神を宗教的な信仰の対象としての超越者ではなく、哲学的な意味合いでの「ものごとの究極原理」としてのみとらえるには無理があると思う。また、哲学的な意味に絞ると、デカルト自身が定義する何の制限もない完全性を本性とする神の概念にも矛盾する。一般的な意味での宗教以外の場面においても、何かを信じていたり何かに依存していたりすれば、それは宗教的な信仰とそう変わらない。2020/11/19
ころこ
19
本書は本文、註解、解説、索引の順で構成されています。特に註解では、他のデカルトのテキストと対照させ易く詳細に記述してあり、労作です。本文は持って回った表現が多く、大変読み難い印象でした。他方、QA方式の解説は、本文に付した番号と解説とを対照した要約が載っています。要約と解説は分かり易いので、解説だけ読んで、読んだ気になるのでも良いかも知れません。デカルトらしく、理系の話が要所で出てきます。第1省察で、2+3=5ではない、四角形が4つの辺を持たない世界の可能性に、第5省察では、三角形の3つの角が2直角に等し2017/12/25
masabi
18
神と精神について中心的に論じている。完全性は神だけであり人間は不完全性である。けれども不完全性である人間が完全性を観念することができる、そこに神が存在するという証拠を求めることができる。心身二元論。方法的懐疑。なぜ人間が誤るのかといえばまだ十分ではないのに先走って判断を下してしまうせいであり、意志が知性よりも広大である結果だ。意志と知性との範囲の差に誤謬が生まれる一因となる。2014/08/30
吟遊
14
日本語として読みやすい。自然だ。でも、原文が難しいのだろう、十分に噛みごたえがある。注解がとても充実。解説もよいと思う。2018/08/05