内容説明
著者は、世界の宗教史でただ一人あげよ、といわれたら法然をあげるという。なぜか。一言でいえば、「凡夫」のための宗教は、法然を持ってはじめて世に出現したからである。「凡夫」とは、「自己中心性」から逃れられない人間のことである。自己のためにはすべての欲望が総動員される。神仏を祈願するといっても、内容は、是が非でも自己の欲望を遂げようという脅迫であることも少なくない。「凡夫」に救いはあるのか。あるとすればいかなる教えなのか。この世の一切の営みを超えた宗教的価値の絶対性をはじめて明確に主張した法然の革命的意義を新たな視角から解き明かす。
目次
第1章 仏教との出会い・今
第2章 仏教との出会い・昔
第3章 法然の飛躍
第4章 「この世」の生き方
第5章 神と仏
第6章 死者との連帯
著者等紹介
阿満利麿[アマトシマロ]
1939年生まれ。京都大学教育学部卒業後、NHK入局。社会教養部チーフ・ディレクターを経て、明治学院大学国際学部教授。日本宗教思想史専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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榊原 香織
89
法然てラディカル⁈ 最初と最後が民俗学ぽい。 日本に仏教が来た当初は、寄り来る神の一種として受け止めてたらしく、仏像を海や川から拾った、という話が多いのはそのせいか。 古来の神仏一体化をはっきり分けたとこが革新的なのかな。でも一遍でまた戻る2020/12/17
takeapple
14
今の浄土宗の在り方と法然の専修念仏は大きく違う。法然は死者供養の為の念仏を否定している。しかし現在の浄土宗の寺院では通夜やって葬儀やって法事やれ、施餓鬼だ盆だ彼岸だと死者供養をしろとうるさい。今度住職とこの件で話してみよう。2019/07/28
moonanddai
8
行基のことを考えながら、法然で何が変わったのかということを知りたいと手にしました。ランダムですが、まず、これまでのような死者(特に疫病などによる横死者)の手向けの念仏ではなく、自分の往生、成仏を「信じる」ことによる念仏。作善苦行(社会事業も含まれる?)は不要…。しかも他の神さんとかを拝んでも「無駄」となる…。この辺が後の弾圧のネタになってしまうのですが、個人的にはうちのお寺さんでもあり、メンタリティーとしてうなずけてしまうところがあります。もちろんというか不本意にというかその後変質していくのですが…。2018/12/10
moonanddai
7
賢らに苦行や作善を考えるな。自分は単なる凡夫であることを知り、念仏しか救われる道はないと思え。ただ、念仏でかなうのは浄土往生だけで、この世での快楽は望むべきようはない。それでは我々は「今」どのように生きるべきか、今に何を望んで生きるべきか。どうやらそれについて、わが法然は、明確に示してはくれていないようです。極楽で成仏し、多くの人を救う。念仏を唱え、それを心の拠り所としなさいと…。我が家の宗派は、どうやらそのような感じなのだろう。神祇不拝の問題がまだ心に残ります。再読。2022/01/12
たろーたん
2
法然のラディカルさとは、宗教の絶対的価値(本願念仏の絶対至上性)を主張した点にある。今までは、極楽浄土に行くには多くの苦行(写経とか祈祷とか、禁忌を守るとか)を積まなくてはならなかったが、法然は念仏さえ唱えれば、どのような者(例えば今まで悪いことばかりしてきた奴)であっても極楽浄土へ行けるとした。そこが、宗教を倫理や道徳と言った世俗の価値から切り離したため、ラディカルだった。2019/01/24