内容説明
「虚子と放哉の間で理論を、西田と九鬼の間で思考を、青山と州之内の間で美を、安吾と三島の間で構成を、川端において散文を問い、そして小林秀雄にたどりついた」。俳句、哲学、美術、演劇、小説、そして文芸批評。巨人たちへの敬虔なオマージュでなく、むしろ今なおわれわれを強くとらえてやまない多彩なディスクールを横断しながら、彼らの反面が隠し持っている途方もない異形性、不気味さだけがもちうる強度を露わにしてみせる。ロゴスの節度ではなく、アレーティアの脅威にこそ捧げられた、異色の近代日本批評史、恐るべき思考の力業。
目次
放哉の道、虚子の道と道
西田の虚、九鬼の空
見えない州之内、見るだけの青山
三島の一、安吾のいくつか
いつでもいく娼婦、または川端康成の散文について
小林秀雄わかちえぬものと直接性、もしくは、流れる、叩け、見ろ、壊せ!
著者等紹介
福田和也[フクダカズヤ]
1960年、東京生まれ。慶応義塾大学大学院修士課程修了。慶応義塾大学環境情報学部教授。『日本の家郷』で三島由紀夫文学賞、『甘美な人生』で平林たい子賞を受賞
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感想・レビュー
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harass
84
佐々木敦の批評お勧め本リストの一冊。この評論家の初期の隠れた名作だそうだ。日本人の考え方・目玉とは、を考察する批評史。放哉、虚子、九鬼、西田、三島、洲之内、青山、三島、安吾、川端、そして最後に小林秀雄に至る、日本の近代批評の道のりを論じていく。正直、難解なところもあるが、なかなか面白い。この大風呂敷っぷりや、題材というよりも、強引といっていい論理展開や煙に巻くようなレトリックにめまいや恍惚を感じる。批評というジャンルのお手本か。良書。2018/05/24
踊る猫
28
エモいな、という印象を抱く。手つきとしてはクールなのだけれど、ところどころ「異物」「他者」の立場から日本文学そのものを斬ってしまおうという意気込みを感じるのだ。特に川端康成論が秀逸で、幅広く文献をフォローして川端の不気味さを論じるところが熱っぽく、これまで書かれたことのない(そしてこれからも書かれることのないであろう)一編として仕上がっているように思う。使い勝手が良い、とは言えないと思うのだけれど、それでも無視し得ないアクチュアリティはある。著者のクレヴァーな側面が窺い知られる(悪く言えば自由過ぎる)一冊2019/08/02
ピンガペンギン
16
福田和也氏は柳美里さんと雑誌をやっていた。柳さんのエッセイ集の中の文章(それがこの本の末尾に収録されている)でこの本を知り、気になっていた本だった。洲之内徹、青山二郎を対照的に論じている章を夢中になって読んだ。ウィーン在住の画家「みよしさん」の絵を買ったことで、直接話す機会を得た福田氏はみよしさんの心が「壊れていた」と書いた。洲之内に見いだされた彼女の絵の「たんぽぽ」の描写が鬼気迫るという感じで(それを柳さんが褒めていたのだ)、ぜひどんな絵が見たいものだと思ったが、ネット上でも出てこず。 2023/09/02
うえ
10
九鬼隆一男爵の妻、波津子と岡倉天心の不倫。そして天心の妻。この三名ともに何かしらの精神疾患を持っていたことと、それを語る息子、九鬼周造。「西田の虚、九鬼の空」では、九鬼の「思出のすべてが美しい。明りにも美しい。蔭も美しい。誰れも悪いのではない。すべてが美しい」という言葉が引用されている。岡倉天心に対しては尊敬の念しかないと言う九鬼は、『いきの構造』という奇妙な、問いのない本を書いた。それに対して、西田は。。思い出はいつも美しい。2019/09/28
しゅん
8
福田和也はなんとなく避けてきたのだけど、面白かった。全体的に人間の獣性、人の気持ちへの無関心とか戦争に生きる人間の欲情とかを肯定する流れがあり、一見すると女性蔑視的な主張ともとれるが(その一面も確かにある)、「目玉」を知らずに「目」を語るなという考えのもとでは避けて通れないのが「獣」道となる。しかしながら、「見る」ことのナルシシズムは「獣」を語るには相応しくないと思う。両親の情念に幼少期に触れた九鬼修三と、きわめて率直な思想として青年時代を生きた西田幾多郎の対比は、エピクロス派とストア派の対比とダブる。2020/12/02