内容説明
「神は死んだ」。真理の経験としての“宗教”の無効は宣告された。だが、人間は聖なるものの経験を反復する。贈与、サクリファイス、消尽、パッション的愛という出来事の経験は、主体を超えた強い力が通り過ぎた痕跡として生きられるのであり、現前性というかたちで生きられる可能性をいつも除外する仕方でしか経験されないなにかを秘めている。こうした非知は、反復的・永遠回帰的にしか、そういう強烈さとしては生きられないだろう。本書は、バタイユ、ブランショ、デリダの思想から発し、系譜学的な眼差しによって、非知という異質な他者の経験を、独自の言葉で精緻に開示する。この眼差しは、宗教的なものを継承する文学・芸術の解明にまで及ぶ。書き下ろし力作評論。
目次
1章 死ぬことの経験
2章 宗教的なもの、エロティシズム
3章 供犠=祝祭の“意味”―純粋な贈与というアポリア
4章 聖なるものの経験、愛の経験、起源なき反復
5章 “同一なものの反復”というイリュージョン
6章 祝祭の“祭儀”化、侵犯行為の激しさ、革命的瞬間
7章 文学・芸術の経験と“真実”
著者等紹介
湯浅博雄[ユアサヒロオ]
1947年香川県生まれ。東京大学仏文科卒。同大学院博士課程、パリ第三大学博士課程修了(3e cycle博士論文提出)。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授
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感想・レビュー
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ayaka
1
三島ディスであった。死ぬというのはそもそも虚構的でしか現実的でありえない体験であり、そもそも模倣的に体験され、そもそもが反復である。だから芸術という虚構の行為が死という真実をぴったり表現できないから死ぬ、という自殺の論理は、死の他者性を無視しており、単に誤りである。以上でも以下でもなく、同意。死んじゃだめなのはわかったからそろそろ新しい意見が聞きたいというのもありつつ安心して読める一冊。2012/12/24
らむだ
1
タイトル通り、聖なるものと永遠回帰を軸に七章立ての構成になっている。 内容が重複、反復、回帰しながら進んで行くので、やや読みづらい部分もあった。再読の折には更に理解を深めたい。 【メモ】バタイユ、デリダ、ブランショ。贈与、宗教、虚構、供犠、祝祭。2012/12/20
hal_7
1
同じことを反復し過ぎ。極端なことをいえばあとがきだけでよかったのでは感。2012/05/14