内容説明
神話は荒唐無稽な作り話などではなく、古代人の生(ビオス)であり、実存であった。碩学ケレーニイは、ギリシア・ローマ古代宗教の神話的位相を解明し、“ビオスとしての宗教”を提示する。その根幹から大いなる時間=祝祭を導き出し、学問・芸術・宗教などが根元的に一つの根から生じたことを明す。さらに、人間存在の裏側にある巨大な非存在の領城を探索し、存在は非存在によって支えられ、存在の意味を賦与されているという位相を照射する。人間存在にとって、今もなおこの上ない示唆を与えつづけている名著。図版多数。
目次
第1章 ギリシア宗教の神話的特性
第2章 祝祭の本質
第3章 宗教的経験の二様式
第4章 ギリシアおよびローマの宗教的経験の項点
第5章 ホメーロス、ヘーシオドスにおける人間と神
第6章 ローマ的理解における人間と神
結語 宗教的観念としての非存在
感想・レビュー
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彩菜
9
芸術や宗教経験の中で起こる、不可能を可能性として現出させる現前化作用、著者はこの創造的行為に着目する。古代宗教の祭祀とはこの作用を伴うものではなかったろうか。例えば祝祭で神話を演じる事もその一つ、禁令や儀式を通して神話を体現する神官の生活も又それなのだ。ある民族の特性はその神との固有の関係形態にあると考える著者は、この様々な形の現前が、ギリシアでは「テオーリアー(観る)」、ローマでは「レリギオー(神への慎み)」という様式で展開する事を示し、これが各民族の特性に繋がるとする。古代へのこんな接近法があるなんて2019/03/31
氷月
2
生(ビオス)としての宗教。古代宗教において求められたのは教義の真理性ではなく、芸術や芸術作品と同じような純正さという意味での真理性であった。ギリシアのテオーリアー(観)の宗教とローマのレリギオー(慎み)の宗教。2021/12/23
コマイヌ
1
信頼のKKだし面白いと言うけれど結局メモも取らずに流し読みしてしまった、本当は手元に置きたい。すごく好き。祝祭のところは当然祝祭的雰囲気が神々の現在をもたらすよね、としか思えなかった。語源分析に偏って見えるとはいえギリシアのヌース(観る=知る事)・畏怖(セバス)と羞恥(アイドース)、ローマのリレギオー(慎み)等、歴史でなく古代神話がいかに生きられていたかをまともに扱ってるのは珍しい気がする。最後突然死への哲学が入ったのはびっくりした。 ゼウスの笑いはティターン的不和を中和する事、笑いの下りが実に良かった。2015/12/16