内容説明
共産主義を鼓舞しながら、その裏切りや挫折のうちに潰えていったものは何だったのか?今世紀を貫く政治的文学的体験における「共同体」をめぐる思考を根底から問い直し、「共に存在する」ことの裸形の相に肉薄する。それはいっさいの社会的関係の外でこそ生きられる出来事であり、そこで分かち合われるのは逆説的にも複数の生の「絶対的分離」である。ハイデガーの「共存在」を換骨奪胎し、バタイユの共同体の試みやデュラスの愛の作品、そして「六八年五月」の意味を問いながら、「共同体の企て」やその政治化の厄々しい倒錯を照らし出し、「共同体」を開放系へと転じる20世紀のオルフェウス、ブランショの思想的遺言ともいうべき書。
目次
1 否定的共同体
2 恋人たちの共同体
訳註
ブランショと共同体―あとがきに代えて
付録(遺産なき共産主義;ビラ・ステッカー・パンフレット)
著者等紹介
ブランショ,モーリス[ブランショ,モーリス][Blanchot,Maurice]
1907年生まれ。文学という既成の制度を超えて、書くことを人間存在の根源的な体験“死”と結びつけ、これを小説化する一方、マラルメ、カフカ、ニーチェなどをめぐる批評を展開、文学的思考をひとつの極限まで高めた
西谷修[ニシタニオサム]
1950年生まれ。明治学院大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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- 評価
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ドン•マルロー
16
ナンシーの無為の共同体と併読することで、より本書への理解は深まるだろう。2018/01/13
ネムル
14
「伝達不可能なもののみが伝達網するに価する」、イデオロギーや国家、全体主義への内在・合一という漠然とイメージする共同体像に対して、己が不充足なるままに外部・他者へと投げ出される、この有限なる体験のうちに共同体を、また68年5月革命を見る。逆説的ながらも明晰なバタイユの読解に対して、後半のデュラスをレヴィナスに繋げる過分にロマンチックで熱情的な思考に戸惑いさえ感じるが、この「恋人たちの共同体」にこそブランショの素顔があるのだろうか。刺激的で、またちょっと不思議な印象を残す小著。2020/04/08
しゅん
14
バタイユとデュラスを論じていることからも分かる通り、ただの共同体論ではない。共に在ることの不可能性を条件とすることではじめて可能になる共同体。はじまったと同時に終わる共同体。こうして書くと陳腐な反語のレトリックという感じになってしまうけど、ただ私の理解が追いついていないだけです。フランス語では「共同体」「共産主義」「コミュニケーション」の発音が非常に近いという認識をより意識して、再読したい。2017/12/24
Ecriture
14
バタイユの『内的経験』やナンシーの『無為の共同体』をもとに、外へ向けてある(ex-ist)こととしての内的経験や恍惚、どうしようもない差異にさらされて限界に向き合う場所としての未知の者たちとの明かしえぬ共同体を考える。バタイユの一見したところ共同体希求の挫折と思える旅路こそが、共同体を準備していた。分割(分かち合い)や試練なくしては、共同体も友愛も裸の触れ合いもあり得ない。読者は、作者(テクスト自身)から求められているが同時に容赦してもらえないというエクリチュールの共同体への議論の接続も面白い。2014/05/30
しゅん
9
読書会のため再々読。「inavouable」は「明かしえぬ」よりも「恥ずかしくて口にだせない」がニュアンスとしては近い。路上の匿名性が、文学と死のそれと重ねられる。文学の匿名性については『文学空間』再読しないとつかめない気がする。2020/05/30
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