内容説明
紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ―源平争闘し、群盗放火横行し、天変地異また頻発した、平安末期から鎌倉初期の大動乱の世に、妖艶な「夢の浮橋」を架けた藤原定家。彼の五十六年にわたる、難解にして厖大な漢文日記『明月記』をしなやかに読み解き、美の使徒定家を、乱世に生きる二流貴族としての苦渋に満ちた実生活者像と重ねてとらえつつ、この転換期の時代の異様な風貌を浮彫りにする名著。本篇は定家四十八歳まで。
目次
序の記
明月蒼然、定家十九歳
俄ニ遷都ノ聞エアリ
仏法王法滅尽
初学百首
明月記欠
堀河院題百首
西行との出会
花も紅葉もなかりけり
後白河法皇死〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
やいっち
49
堀田の本は、折々読んできた。悲しいかな肝心の「広場の孤独」は若い頃に読んだきり。さて、後鳥羽上皇の時代。親鸞や法然(らの教え)が急激に民衆の支持を得、源氏が勢力が勃興し旧体制が崩れ始め、世相は混乱の極にあった……のだが、宮中の人々は遊びと現状維持に汲々するするばかり。「世上乱逆追討、雖満耳、不注之、紅旗征戎、非吾事」なる姿勢を貫く定家は、美のための美…シンボリズムの粋を極めようとしていた。王朝文化とはいかなる風にして成り立ったか、その一端が本書を手にして感じられた気がする。2015/10/28
みつ
35
新潮社から函入り単行本として出版された40年近く前、帯に書かれた「紅旗征戎 我ガ事に非ズ」の言葉に惹きつけられて買い求めた本の何度目かの再読。著者は召集令状が来る不安の中で、十九歳の歌人が書きつけたこの一節に出会い、以降漢文で書かれた定家の日記(「明月記」)を読み進めていく。終わり近くで著者が述べるように、この日記に対して、週刊誌の編集者、あるいはTVのコメンテーターのように接し、それにより、戦乱の世、世界にも類を見ない言語による人口美の極みたる新古今歌壇、ホモ・ルーデンスの典型たる後鳥羽院らを絡ませ➡️2025/02/09
みねたか@
34
定家の青年期から壮年期、清盛の死の直前から源頼家の暗殺の激動の時代。大火、飢饉、地震災害も多発。「方丈記私記」では平安末期の都の惨状と先の大戦で焦土なった東京との対比が印象的でしたが、本作では没落する貴族階級の定家が窮迫や持病に苦しみ、ままならぬ官位に悪態をつき、上皇と取り巻きの乱行を冷ややかに見る日常が記されます。堀田氏が描いた世界の一端しか咀嚼できていませんが、「紅旗征戎ワガ事に非ズ」という透徹したニヒリズムと、美意識を極めた歌人としての矜持が強く印象に残ります。2021/12/28
ロビン
23
『百人一首』の選者であり稀代の歌人であった藤原定家の日記『明月記』を、富山出身の芥川賞作家堀田善衛が自らの所感を挟みながら読み解いた本。定家の宮廷生活を読んでいると、万事破天荒な後鳥羽院に振り回され、官位や昇進に一喜一憂し、治安の悪化した京都で貧しさを託つという風で、雅さとは程遠く、絶対に宮廷貴族にはなりたくないと思わせられる。「紅旗征戎吾が事に非ず」という発言も何とも言えないが、戦時中に青年時代を過ごした堀田氏は自分の言いたくとも言えない思いを代弁してくれたように感じた、との言葉には打たれるものがある。2022/04/26
風に吹かれて
21
『明月記』は漢文で書かれた定家の日記。宮廷の人でもあった定家の日々を、『玉葉』や『吾妻鏡』なども参照しつつ『明月記』で読む。堀田氏の手慣れた読み下し文で引用してあり、当時の世の中の状況も丁寧に堀田節で説明。中世の時代を身近に感じることができる。宮廷内での昇進がままならなかった定家。後鳥羽院から和歌の追加の要請があったりして、『新古今和歌集』編纂委員の定家の困惑ぶり。和歌鑑賞は苦手な私だが、当時の様子を楽しく知ることができる。定家49歳以降のことは、続編で。2018/11/08
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