内容説明
原稿用紙を前にすると、なぜか書けなくなってしまう作文。この憎き作文を解体し、さらにプロの名人芸たる文芸作品をも巻きこんで、文章表現の楽しさと可能性を追究する。「書く」っていったいなんなのだろうか。胸に浮かんだことばをどのように捕らえるか、メモをどう生かすか、どこまで推敲するのか。ありうべき新「作文」の実践をラジカルに自由に説き明かす革新的な文章読本。
目次
第1章 人はなぜ書くか(地面に手で書く;作文は嫌いだった;「自分」作りマシーン ほか)
第2章 表現の現場(「私」という場所;最初の記憶;水の入ったコップ ほか)
第3章 純粋文章(メモというジャンル;主題ゲーム;推敲のたのしみ ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
sabosashi
14
個人的に偏愛している著作。読むのは三度目か四度目。三年前に綴った感想をよみなおす。やはり曖昧な表現でわかりにくい、でも読み方によってはよく掬い取られている気もする(笑)。 さて、いまでは読書感想文なるものは唾棄すべきものだという認識が広まりつつある(と思う)。でも作文、もしくは綴り方なるものもじつは似たり寄ったりで、制度化されたシステムとしての学校活動の一環でしかない。すくなくても作文を取り戻さなくてはならない。 「事実」なるものはことばの世界に持ち込まれると、単なる「いち解釈」にすぎなくなる。2023/10/17
sabosashi
9
再読。はじめて世に出たのはもう三十年もまえのことになるらしい。つまりは文の書き方、でしかないのだが。 わたしたちは小学の時分にすでに作文という制度にスポイルされている。 いきなり思っていることを書け、と言い渡されて書かされるが、頭には浮かんでいることが少ない。 やはり書くことは積み重ねであり、いわゆるメモをつなげていかないことには、長い文章というのは書けないものなのだ。 それから何年もがたち、人はときとして立ち止まるようにしてなにごとかを考える。 2020/06/21
けいこう
2
わりと好きな本。文章について、断片や推敲に光をあてる。つまり文章をひとつの完成形としてとらえるのではないということで、過程を大事にする。文章を書く以前に書くもの、主題があってそれにのっとって書くのではなく書いていく中で発見するものを大事にする。そこには、「私」というものが実は不確定なものなのだという前提がある。書くことで「私」を発見するがやはりそれも不確定なので完成しない。そこに書くことのたのしみを見出している。誰かに読んでもらったりする以前にもたのしみがあるということに書いてあるような気がするので良い。2019/07/07
ぺんた
1
読むのに結構骨が折れた。単なる技法ではなく、「作文」に取り組む際のあるべき姿を思索的に説いているからだ。思い付いたことをちょいと工夫して書けばいいんじゃないかな、とあまりに野放図でなまっちろく、ともすれば自堕落的とも指摘されかねない僕。そんな僕の心は鋭く暖かい光に穿たれ、依るべき指標をその中に得た気がした。どこまでも自分に正直に、自分だけの言葉を模索していく、作文の根源的なものがわかった。実践することを常に心掛けたい。これから何度も立ち返って読み直したい本だ。2013/10/02
あじつけ
0
1989年発行。ちくまライブラリー26 版を読了。2016/06/15