内容説明
西欧化だけが日本の近代化の道だったのか―。魯迅を敬愛する思想家が、戦前からの中国文学研究の蓄積のうえに、日本の近代化、中国観・アジア観、ナショナリズムを鋭く問い直した評論集。「中国の近代と日本の近代」(1948年)、「近代の超克」(1959年)、「方法としてのアジア」(1961年)など、今なお思想的有効性を失わぬ23編を収録。
目次
中国の近代と日本の近代
日本人の中国観
東洋人の日本観
二つのアジア史観
日本人のアジア史観
アジアのナショナリズムについて
ナショナリズムと社会革命
アジアのナショナリズム
アジアにおける進歩と反動
近代の超克〔ほか〕
著者等紹介
竹内好[タケウチヨシミ]
1910年長野県生まれ。東京帝国大学文学部支那文学科卒業。中国文学者・評論家。1934年武田泰淳らと中国文学研究会を結成し、日本における現代中国研究の端緒を開く。1944年発表の『魯迅』は戦中・戦後の思想界に大きな反響を呼んだ。1953年から60年まで東京都立大学教授。1977年死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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かんがく
16
戦中戦後期の著名な中国文学者の論文集。日本はアジアなのかアジアの中の西洋なのか。脱亜か興亜か。アジア近代においては文明と野蛮がキーワードとなり、戦中の「近代の超克」や戦後の東京裁判において着目される。魯迅、孫文、タゴール、デューイについて何度も触れ、先進国であった日本の近代化が、五・四運動以降の中国の近代化と質において大きく異なることを主張。西郷隆盛~頭山満~北一輝のアジア主義の章は特に面白く、日本近代史理解においてより深く学ぶ必要があると思った。2020/01/05
白義
9
竹内好にとってのアジアは、実体ではなく、近代を問い、進んでそのアポリアと格闘するための方法なのだろう。日本、アジアについて今でも語られることの枠組みを、独力で切り開いた骨太の論考が多い。特に近代の超克、日本とアジア主義は、名だたる思想家たちのテクストを厳密に分析し、その情理と論理を余すところなく表現していて見事。むしろ右が担った革命主義、アジアへのロマンチシズムが侵略と友好、二つの可能性両方を孕んでいると認めながら、その限界と可能性を批判的に掴み出さんとする胆力がずば抜けている2012/11/29
Hiroshi
7
著者は中国現代文学研究の基礎を築いた人。魯迅の翻訳もした。著者の文学観は、文学は一民族の生活感情の総和であるという命題を自明の前提としている。故に見識が奥深い。本書は23の論評からなる。「中国の近代と日本の近代」「近代の超克」「日本のアジア主義」「方法としてのアジア」等だ。アジアはインド以東を指しており日本以外はほぼ植民地化されている。「中国の近代と日本の近代」では、東洋の近代はヨーロッパの強制の結果だし、東洋の抵抗が始まる。中国と日本では国の始まりが余りにも違う。日本の弥生時代には中国では漢帝国がある。2025/10/30
とんこつ
5
ここに収められている論評やエッセイを貫く問題意識は、日中戦争および太平洋戦争は何故起きてしまったのかという反省に貫かれている。その反省のなかで竹内は或いは日本と中国の近代受容を比較し、或いは戦争責任について考察を深め、或いはアジア主義の功罪について検討していく。ふたつの戦争が反映する二重性(侵略戦争と解放のための対帝国主義への戦争)は日本の近代建設における二重性(復古と維新、国粋と文明開化、東洋としての日本と西洋化する日本)に根ざしていると考えられる。日中文化比較、近代比較など興味深い言及が多々あった。2017/05/18
てれまこし
4
近代化というのが西洋文明の帝国主義的拡大と等価のものでないのであれば、それに対する民族的抵抗をまって初めて近代も完成する。アジアを抵抗の主体と捉えるかぎり、真の近代化にはアジア的なものと思想的に向き合う必要がある。これを避けてきたが故に、日本の精神的近代化はまだ徹底されていない。この場合、「アジア」は伝統ではなく、変革の旗印に読みかえられる。伝統に固執するのではなく、伝統をいったん否定することにより蘇生させる。近代はアジア化されることをもって完成・超克されうる。えらく重たい思想的課題を背負い込んだものだ。2018/10/24
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