内容説明
死の瞬間から次の生を得て誕生するまでの間に魂が辿る四十九日の旅、いわゆる中有(バルドゥ)のありさまを描写して、死者に正しい解説の方向を示す指南の書。それが『チベットの死者の書』である。ユングが座右の書とし、60年代にはヒッピーたちに熱狂的に受け容れられ、また脳死問題への関心が高まる中で最近とみに注目を集めている重要経典を、チベット語の原典から翻訳した。
目次
第1巻 チカエ・バルドゥ(死の瞬間の中有)とチョエニ・バルドゥ(存在本来の姿の中有)
第2巻 シパ・バルドゥ(再生へ向かう迷いの状態の中有)
第3巻 付属の祈願の文書
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Miyoshi Hirotaka
36
死んでからも結構大変なようだ。極悪人なら地獄、善を極めた人なら極楽に直行するが、凡人には四十九日の試練がある。善悪の神々が毎日現れて怯えさせる。実は、どんな姿で現れたとしても、それらは自分自身の姿の現れ。恐ろしいと考える意識は明晰。実態があるようだが、それは空。空の本質は明晰。愛着も敵意もどちらも捨てた時に恐れはなくなり、解脱する。その機会は誰にでも何度もある。死者のガイドブックのようだが、生きている人にその生の意味と内容を厳しく問いかけている。常識的な生と死の枠組みを超えた壮大な精神世界を現した書。2014/10/27
テツ
27
もう二度とこんな人生なんていうクソゲーはやりたくないので輪廻転生なんていうシステムは想像しただけで鳥肌が立つけれど、死後の四十九日で体験する様々な事柄については読み物として面白かった。日本人が知らないうちに太古から伝わる日本的な文化として考えている死に纏わる諸々は、死について、そして救済について真面目に考え抜いた古の賢人が編み出した方便なんだな。まあでも二度と人生とかやりたくないんで修行とか勘弁してください笑2017/07/02
Gotoran
19
現代では簡略化・形骸化している死者を弔うことの本質的な意義(葬儀、初七日・・・四十九日)を知る。本文を読んだだけでは浅い理解に留まるが、巻末の著者の解説(本文補足説明)が手助けとなった、しかもユングの集合的無意識との繋がりへの言及等、非常に興味深かった。現代の日本人の生活様式・考え方が欧米化しているとはいえ、古代から脈々と受け継いでいる仏教的思想(集合的無為意識)について、暫しの間、焦点を当ててくれた。また、日本の仏教より原始仏教に近いチベット仏教の神秘さ・奥深さを垣間見た。いみじくも、著者はいう、↓2012/02/11
フリウリ
16
死ぬと大音量、光、そして色に包まれ、そのあまりの凄まじさにひるんでしまうが、じつはそれ自身が自分の本性としての空である、という世界観(あっているか?)は、すばらしく美しく、もしもいつか体験できるのであれば、今からとても楽しみです。輪廻を繰り返さないための最後の手段としての「胎の入口を閉ざす方法」も、その発想を含めて何かコミカルなものがあっておもしろい。いずれの方法も段階的に示される、という構造も興味深い。ただ、深入りしてカルト化した例もあるわけで要注意です。解説の記述は、若干あやしいところがあります。92024/09/20
記憶喪失した男
10
ヒッピーの聖典で、ユングの愛読書だったらしいけど、まったく面白くない。凡庸な仏典であり、同じことがくり返し書かれるだけ。訳者の川崎信定は、四十九日間で転生できるなら、死はなんら恐ろしいことがないことになると指摘している。有名だけどぜんぜん面白くない本だった。オウム真理教の殺しを意味することば「ポア」は「転移」という意味であったようだ。2019/02/21
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