ちくま新書<br> ホモ・エコノミクス―「利己的人間」の思想史

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ホモ・エコノミクス―「利己的人間」の思想史

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  • サイズ 新書判/ページ数 320p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784480074645
  • NDC分類 331
  • Cコード C0210

出版社内容情報

経済学が前提とする「利己的で合理的な主体」はどこで生まれ、どんな役割を果たしてきたのか。私たちの価値観を規定するこの人間像の謎を思想史的に解き明かす。

内容説明

自分の利益を第一に考えて合理的に行動する主体=「経済人(ホモ・エコノミクス)」―経済学が前提とするこうした人間像はどこで生まれたのか。多くの批判にさらされながらも、それが世界を動かす原動力でありつづけているのはなぜか。「金儲け」が道徳的に蔑まれた古代・中世そして非近代の社会から、近代経済学が確立する「限界革命」の時代をへて、ホモ・エコノミクスが社会の広範な領域に浸透する現代まで。「自己利益の追求」が当たり前の価値として受け容れられるに至ったからくりを、思想史の視座から解き明かす。

目次

第1部 富と徳(金儲けは近代以前にどう受け止められていたか;なぜ人は貧乏人を責めるのか;マンデヴィルとハチスン ほか)
第2部 ホモ・エコノミクスの経済学(ホモ・エコノミクスの語源学;イギリス歴史学派と方法論争;メンガーvsシュモラー ほか)
第3部 ホモ・エコノミクスの席捲(差別・犯罪・人的資本;「緑の革命」―前提としてのホモ・エコノミクス;ゲーム理論と社会的選択理論、そして行動主義革命 ほか)

著者等紹介

重田園江[オモダソノエ]
1968年兵庫県西宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部、日本開発銀行を経て、東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。現在、明治大学政治経済学部教授。専門は、現代思想・政治思想史。フーコーの思想を、「権力」や「統治」を中心に研究する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Ex libris 毒餃子

21
「合理的経済人」についての思想史。経済学の一丁目一番地となる思想であるが、あらためて丁寧にさらっている。19世紀末の「限界革命」が起きるまでは登場しなかった思想であることを確認できる。本来であれば、経済行動において限定的に用いるべき思想であるが、解釈範囲が拡大し日常にも及んでいる(ベッカーは意図的)。元早大総長の発言などが批判されるが、大学改革など教育分野にも「経済合理性」が求められるのは間違っている。政治経済学部の教授から出版された本であることに意義を感じます。2022/03/19

buuupuuu

16
合理的経済人の仮定について、その認知的条件を理想化しすぎているという批判がある。他方で、その行動原理を徹底的に利己的なものとする見方については、むしろ現実的だとされることが多いのではないだろうか。しかし本書によれば、この徹底的に利己的な人間像というのは、経済学における限界革命を起点にして歴史的に仮構されてきたものであり、決して当たり前のものではない。資本主義批判に対して「そうは言っても我々は利己的なのだから」といった再反論がなされるとき、こういったことを考えてみることには意味があるのかもしれない。2022/05/06

リットン

13
流行りの行動経済学の本かと思ったが、そもそもの経済学が前提にするホモ・エコノミクス的な人間観に対して疑問を呈し、その人間観の歴史を辿る本だった。昔はお金が卑しいものとして見られていたし、人は自己利益の最大化を求めるものだというのは人間の本質かと言われると、それは政治や思想の流れの中で定着した考えなだけで開き直りにも見える。もちろん、ホモ・エコノミクスは一つの人間のモデルとしては研究的な価値はあるが、実際の人間はそんなに単純じゃないのに、世の中の風潮として真理のように見られ独り歩きしている感じはするなあ2022/04/07

ヒナコ

12
近代経済学が理論化を進める際、主体は他者と無関係に自己利益を合理的に追求する主体として想定された。この主体は一般に「ホモ・エコノミクス」と呼ばれている。本書は、この「ホモ・エコノミクス」がどういった出自を持ち、どのように経済学以外の分野に一般化されていったかを思想史の方法論を用いて解説している。→ 2022/07/24

(k・o・n)b

9
個人を自己利益追求の主体=ホモエコノミクスと捉える人間観を、フーコー研究者の著者が系譜学的に批判する一冊。金儲けが卑しまれた中世以前から筆を起こし、商業の興隆と共に起こった富と徳の論争を扱うのが第1部。第2部では毛色が変わり、限界効用逓減の法則の発明を期に経済学に数学が導入された経緯を描く。ここで、初めは力学での「摩擦のない地面」ような方便としてホモエコノミクスの人間観が登場するが、第3章ではその人間観が教育や環境、政治の分野にも広がり、ある種の規範として機能することで様々な弊害を起こしていると指摘する。2023/02/17

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