出版社内容情報
明治の神道国教化により起こり、「寺院・仏像を破壊する熱狂的民衆」というイメージが流布する廃仏毀釈。実際はどんなものだったのか。各地の記録から読みとく。
内容説明
明治政府の神道国教化により起こった廃仏毀釈。それは、日本で長らく共存していた神道と仏教を分離し、仏教を排斥する運動だった。この出来事は寺院や仏像の破壊など民衆の熱狂による蛮行というイメージが流布しているが、実際にはどんなものだったのか?信仰の対象であったものを破壊するのに、人々にためらいはなかったのか?神仏が共存していた時代から説き起こし、各地の記録から丁寧にこの出来事の実際を読みとく。
目次
はじめに―何を「判然」とさせたかったのか?
序章 神仏が共存していた時代
第1章 毀釈の典型―日吉・薩摩・隠岐ほか
第2章 古都の惨状―奈良・京都・鎌倉
第3章 聖地の変貌―伊勢・諏訪・住吉・四国
第4章 「権現」の消滅―吉野・出羽三山・金毘羅ほか
第5章 「天王」の隠蔽―八王子・祇園・大和ほか
終章 廃仏毀釈は果たされたのか?
著者等紹介
畑中章宏[ハタナカアキヒロ]
1962年大阪生まれ。民俗学者、作家。著書に『天災と日本人』(ちくま新書)、『増補 日本の神様』(イーストプレス)、『柳田国男と今和次郎』(平凡社新書)、『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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アキ
108
廃仏毀釈が積極的に行われた地域と、そこに至らなかった地域もある。前者の例として、維新前に水戸、薩摩、維新後に日吉・隠岐・苗木・松本・佐渡・土佐・富山・伊勢など。後者は若狭・東北など。150年前に神宮寺、権現、牛頭天王を信仰していたものの、廃仏毀釈で神社として生まれ変わった所は意外に多いのだと知った。奈良に関して、興福寺の五重塔が売りに出され、燃やされる寸前に周囲の住民か延焼を心配して反対して取りやめになった伝承や、三輪山の神宮寺の本尊が打ち捨てられ、聖林寺の住職が持ち帰り、今は国宝となった観音の話が載る。2022/05/04
ネギっ子gen
55
【それでも、仏像は残った……】明治新政府の神道国教化に依拠する仏教排斥運動は、仏堂・仏像・仏具・経巻などへの破壊行為をもたらした。民衆の熱狂による蛮行というイメージがあるが、「それまで信仰してきた仏像を破壊することに人々にためらいはなかったのか」という、著者の直截な問いに同感した。関連書に、<神仏分離の前提となった神仏習合とはどのような現象だったのか、廃仏毀釈は列島のどこでも起こった一般的な出来事だったのか、仏教の側に原因はなかったのかといった疑問が、それらの著作では深く問い直されていないのである>と。⇒2023/07/03
六点
26
数年前、下賀茂神社で数人の僧侶が神職の案内の下、境内を散策していた。ぬこ田は「へぇ、神社に坊さんか。珍し」と、ぼんやり眺めていたのだが、実はそれが廃仏毀釈運動以来150年振りの大事件である事を、報道で知った。事程然様に、日本の宗教界の画期となった廃仏毀釈であるが、それを行った、当時の庶民の心性を取り上げた著作である。新書の紙幅の限界からか、既刊の書物で知られていることが多いのだが、最近の神像発見など新しい知見も得られた。が、余り成功しているとは思えない、単純な事実誤認もあるので類書もどうぞ読まれたい。2021/07/22
さとうしん
20
近代の廃仏毀釈の諸相を追う。神仏分離によって権現信仰、天王信仰が廃れたり、四国八十八ヶ所参りで札所の差し替えがあったりと、神仏習合の信仰のあり方で大きな影響があったとする一方で、民衆の間で仏像を保護する動きがあったことも紹介。ただ、一般論として廃仏毀釈による破壊は事実が誇張、脚色された伝承にすぎないとしているのは、印象論の域を出ないのではないかという気もするが…2021/06/21
かみかみ
10
廃仏毀釈というと明治政府が強行した仏教弾圧という印象が強い。本書は神宮寺の建立や権現信仰といった形で息衝いていた神仏習合の伝統が、江戸時代に隆盛した儒学の影響等で次第に神仏分離によって分かたれ、明治初期の神仏分離令でその流れが決定的になったことを説く。八坂神社や八幡宮といった全国にみられる神社の今の姿は、神道と仏教が分かたれることによって現れていることに思いを馳せた。2021/08/21