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ちくま新書
日本の「哲学」を読み解く―「無」の時代を生きぬくために

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  • サイズ 新書判/ページ数 238p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784480058690
  • NDC分類 121.6
  • Cコード C0210

内容説明

はたして、日本に独創的な哲学など存在したのであろうか。明治以降、西洋思想の輸入に明け暮れていた日本。しかし世界恐慌を機に、模範としていた西洋近代の諸理念が崩れていった一九三〇年代、日本でも初めて独自の哲学が生み出されていく。それは、いかなる形而上学原理をも前提としない「無」の哲学であった。そこには、すべての価値観が色あせた時代にあっても、なお「生きた力」となりうるものが潜んでいるのではなかろうか。西田幾多郎・和辻哲郎・九鬼周造・三木清ら、日本の哲学山脈を形づくった四人の思想をわかりやすく解説し、現代を生きぬく知恵を探る。

目次

第1章 西田幾多郎―「無」の哲学の創成(最も確実な知識を求めて;創造的自己としての「自覚」;意識の根底にある「無の場所」 ほか)
第2章 和辻哲郎―「間柄」の底にある「空」の運動(美と倫理の間;人間存在と「空」;否定の運動 ほか)
第3章 九鬼周造―「無」としての「偶然性」(出会いと別れ;「いき」の倫理学;「偶然性」への問い ほか)
第4章 三木清―「虚無」からの形成(「中間者」としての人間;「闇」としての「基礎経験」;歴史を作りだすもの ほか)

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

左手爆弾

4
日本の哲学を形而上学を「拒否する」ものとして描いている。西洋的な形而上学を拒否するためにこそ、西田は「絶対無の場所」を、和辻は間柄の根底にある「空」を、九鬼は「偶然性」を、三木は「虚無」を論じたのだとしている。この傾向には概ね納得できる。その上で、常に固まった一点としての形而上学を拒否する姿勢が、果たしてどのような問題を呼びこむかについては、ほとんど語られていなかったように思う。「無」といえば、日本的にはなんだか深遠で実体があるように語られてしまうのだが、果たして本当にそれでいいのか、という観点である。2014/12/07

じょに

2
お手軽。簡潔。西田幾多郎・和辻哲郎・九鬼周造・三木清の哲学から「無」の思想を取り出す。どれも「無」を実定化するのではなく、運動として捉えるための工夫がある。特に九鬼の偶然性との遭遇って話が、最近の永井均の議論(一次的内包)や入不二基義の議論(無いより無いこと)や、大澤真幸の議論(偶有性×必然性)なんかにも繋がり面白い。てか好き。でもまぁこうなるんでしょうな。無根拠性がポジティブになる条件とは。2009/04/25

Yoshi

1
西田幾多郎、和辻哲郎、九鬼周造、三木清の4人の日本の哲学者の基本的な紹介がなされている。 西田の「無」を基本に和辻の「空」と個人生、全体性と文化相対主義、九鬼の「いきと偶然性」三木の虚無と構想力の話はこの本では一連の流れになっていて分かりやすかった。 この本を基本にして西田や九鬼の主著を読んでいきたい。2019/11/28

じょうちゃん

1
西田幾多郎の「無」(=何もない)、和辻哲郎の「空の哲学と文化相対主義」、九鬼周造の「偶然に満ち満ちた生」、三木清の「絶対無」「闇」「徹底した無」。和辻の『人間は必ずしも自己を自己において最もよく理解氏うるものではない』や九鬼周造の「運命としての『偶発性』」に共感。この四人の中では九鬼周造の哲学をもっと深掘りして知りたいなと思いました。『無』をめぐり、西田幾多郎から流れをはっする京都哲学、宗教性の有無はそれぞれですけど、面白いです。2018/08/07

たしかにわたしがうえのです。

1
まぁ副題通り「無」。 1西田:言うことない。 2和辻:和辻は偉いな。ただ西田の良さを消しているように読めた。※もちろん原書に(ry。 3九鬼:前から思っていたんだけど九鬼のオリジナリティというか面白さがわからない。多分「偶然」の問題以前に九鬼の「無」を考えないとただのばかやろうな感じがする。※もちろん原書に(ry。 4三木:哲学的な意味での「愛」について全く知らんので三木通して考えようかなとも思う。「構想力」についてはノーコメント。 っていうか久文先生の「終章」に「問題」は全部書いてあるわ。2011/11/01

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