内容説明
北朝鮮・韓国ともに“近代化”に向けてじつは共通の苦闘を演じている。宗族を中核にした自分たち「ウリ」とそこから排除された他人たち「ナム」の間の深淵は埋められるのか。かたくなな「儒」の世界と大らかな「野」の世界に接点はあるのか。「恨(ハン)」はいかにして解けるのか。朝鮮民族の根底にある思考行動様式を自らの体験に重ねあわせながら率直な眠で描きだす、真の理解のための一冊。
目次
第1章 韓国人の人間関係
第2章 北朝鮮の古くて新たな挑戦
第3章 宗族か民族か「個人」か
第4章 ウリとナムの力学
第5章 理気の世界
第6章 「事大」と「小中華」
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kenitirokikuti
9
図書館にて。再々…読である。古田せんせは90年に日本国際政治学会東アジア分科会訪朝団に随行して平壌へ。その前からちくま新書の編集者から書くのを依頼されていたそうなのだが、本書の刊行は1995年1月。前年夏に金日成が急死しており、さすがにこのまま悠長に原稿を寝かしておくわけにはいかないと思ったのかもしれない▲朝鮮半島民のややこしさに、李氏朝鮮における上からの朱子学教化を見る、というのが本書の姿勢。朝鮮の村には熊さん八さんばかりで、世間知あるご隠居は存在しない。2024/09/27
ken
2
腑に落ちる。2016/11/13
佐天涙子@御坂美琴
0
朝鮮半島研究の碩学、古田博司先生の原点とも言える古典的論文。2017/02/12
ゆで卵/yuki
0
朝鮮民族に限ったことではないけど、他国の人の考え方を学ぶにはその国の歴史を学ばないといけないと思う。自分の考え方にあてはめて理解しようとしても理解できるものじゃない2009/10/07
amanon
0
ここ数ヶ月の間とある事情があり、朝鮮・韓国関連の書籍を読み進めてきたが、この書はこれまで読んできたどの書とも違った趣を持つものであった。とりわけ興味深かったのは、元来「朝鮮・韓国は儒教の国」と一括りにされがちなところを、その儒教の内実にまで迫ったという点。後、朝鮮・韓国の同胞意識を「ウリ」と「ナリ」というタームによって分析していった点である。これらの要素が果たして現在の朝鮮・韓国を知る上でどれだけ指針になり得るかは門外漢である以上断言はできないが、ある程度の効力はあるのではないかと思われる。2009/05/20