内容説明
1906年に水がめに落っこちた漱石の猫が、這いあがるとそこは1943年だった。酒好きのドイツ語教師、五沙弥先生の家にふらりとはいりこみ、風船画伯、役人の出田羅迷、共産党員鰐果蘭哉、馬溲検校などなど、ひとくせもふたくせもある風流人たちが繰り広げる珍妙な会話を聞く。漱石の弟子であった百〓が、老練なユーモアたっぷりに書きあげた『吾輩は猫である』の続篇。
著者等紹介
内田百〓[ウチダヒャッケン]
1889‐1971。小説家、随筆家。岡山市の造り酒屋の一人息子として生れる。東大独文科在学中に夏目漱石門下となる。陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学などでドイツ語を教えた。1967年、芸術院会員推薦を辞退。酒、琴、汽車、猫などを愛した。本名、内田栄造。別号、百鬼園
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感想・レビュー
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saga
63
苦沙弥邸の水甕に落ちたところで終わった原典の猫が、時空を超えて大入道の五沙弥先生の家に仮寓(?)。先生宅には様々な個性的な人物が出入りし、たいがい自宅でグウタラしている先生との掛合いが始まるのだ。原典と贋典とを対比する場面もあって面白い。著者らしい物語の展開で、最後はカーテンコールさながら殆どすべての人・猫が登場し、ドタバタのうちに幕となった。次は『冥途・旅順入城式』を読もう。2022/06/13
めしいらず
58
苦沙味が漱石先生なら五沙弥はもちろん百鬼園先生だろう。先日「御馳走帖」で読んだ晩酌への執念やら三鞭酒を巡るあれこれやらがちりばめられていてニヤリ。「扉を開けたら閉めなさい」の注意書きに難癖つける百鬼園ならでは詭弁的論考。空腹でいる自分の目の前で美味そうに饂飩を啜る友人に線虫の話をひたすら聞かせ辟易させる。その子供っぽさが魅力的だ。ただ人間洞察の説得力は原典と比べると相当に分が悪い。だから諧謔味に取ってつけた感じがしてしまう点は残念。高踏的で頁が字で埋め尽くされた原典より、会話文が多く読み易いのは有り難い。2017/11/28
優希
57
面白かったです。本家で池に落ちた猫が這い上がると、そこは37年後でした。そこで見る一癖も二癖もある人々の様子が赤裸々に語られるユーモア。続編とのことですが、こちらの方が嫌味がたっぷり詰まっているような気がしました。2022/06/29
かわうそ
27
スタイルは継承しながらも原典よりさらにストーリー性は希薄で正直猫はそれほど関係なかったりするわけですが、突然はっとするような幻想小説風エピソードが挿入されたりお得意の貧乏ネタが炸裂したりと独特の楽しさは存分に味わえました。2016/12/29
すーぱーじゅげむ
22
内田百閒ファンは小説派と随筆派にはっきり分かれる(私は随筆派)といいますが、こちらはどちらの要素も入っている感じがしました。五沙弥先生の煙に巻いたようなもの言いが子気味いい。漱石の正典との大きな違いは何といっても酒の出番の多さでしょう。猫よりも酒の存在感のほうが大きい気がします。「ノラや」の後だったら全然違っただろうなぁ。百閒を読んでいてもあまり出てこない息子の死に触れている章があって興味深かったです。2024/07/24