内容説明
文芸誌はいったい誰が読んでいるのだ!?みんなが思っていても口にしなかったことをズバズバと指摘する。吉本ばななはほんとうにすごいのか!?ダブル村上をどう読む!?1960年の文芸誌をひもとけば!?つぎからつぎへと舌鋒するどく斬り込む中島梓流無敵の文芸批評。
目次
不思議の島のガリバー
ガリバーばななを読む
欲望という名のファンタジー
新人賞、今日はどこまでいったやら
1960年のゲートボール
ムラカミは電気ヒツジの夢を見るか
少女たちの見る夢は
夢見る頃を過ぎても
文学を殺したのはだあれ「わたしだわ」と大江健三郎がいった
今日の世界は演劇によって再現されるか’94
ベストセラーの構造’94
何処へ―時評のさいごに
リリパット島を遠く離れて
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kenitirokikuti
11
中島梓が1994年度の「海燕」に書いた文芸時評。これは90年代後半のうちに単行本で読んだ記憶がある(そういや、その数年前に現代国語の時間で「わが心のフラッシュマン」の抜粋を読んだのだった)。80年代の評論と異なり、もうくだけた「あとがき」文体になっているが、(笑)(爆)は使われてないのでこちらの心も乱れない。かつて、純文学であっても必ずしも面白くないものではなかったという回顧、20年後に読むとさらにしんみりする。ばなな、W春樹、笙野頼子、阿部和重、奥泉光らへの寸評には、適当な言葉が選べない…2018/04/04
笠井康平
1
「いまこそ帯をすて小説のなかみだけを眺めればよいのである――そして面白くない小説にはもっとブーイングの声をたかだかとあげ、もっと自由に小説を面白がろうではないか。」(本文より)2012/06/10