内容説明
勤労動員にかり出された級友たちは全滅した。当日、下痢のため欠席して死をまぬがれた著者が、40年の後、一人一人の遺族や関係者を訪ねあるき、クラス全員の姿を確かめていった貴重な記録。
目次
序章 8時15分―広島市雑魚場町
第1章 炎の中で
第2章 学校に帰った級友たち
第3章 “南へ”―業火に追われて
第4章 島へ
終章 8月15日
意外の章(1)耐えて生きる
意外の章(2)原爆と靖国
“スキャンダル”のあと―『広島第二県女二年西組』余聞
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
323
78年目の8.6原爆忌の日に。著者は被爆当時、広島第二県女二年西組に属していた。その日、雑魚場町(現・国泰寺町。爆心から1.1km)の建物疎開に動員されていた教師3人と39人の生徒たちが被爆。一人を除いて(奇跡的に生き残った彼女は昭和44年まで生きる)他の者たちは8月20日までに死亡した。著者の関千恵子は当日欠席していたために直接の被爆からは免れた(その後まもなく入市しているので2次被爆はしていただろう)。これは、そんな著者による贖罪と鎮魂の記録である。こんな風に記録にとどめられることによって⇒2023/08/06
かのこ
69
昭和45年8月6日、勤労動員のため、爆心1キロの地点で被爆した広島県第二県女二年西組の生徒たち。当日体調不良のため死を免れた筆者が同級生の最期を取材したルポルタージュ。おかっぱ頭、キリッとした表情、手をきちんとそろえて写る少女たちの集合写真を本文を読みながら何度も見返してしまう。大きなお寺のご令嬢、級長の優等生、ずっと一緒だった親友…。同じような顔をした少女たち一人一人に個性が生まれていき、その最期がただただ哀しい。歴史的大事件の被害者ではなく、みんな普通に広島で生きていた少女たち。リアルかつ貴重な記録。2019/08/15
kayoko
63
読書メーターで知った本。被爆し亡くなる前の言葉、その家族の言葉に苦しくなり何度も本を閉じてしまった。私の想像をはるかに超える地獄が1945年8月6日広島にあったのだと改めて思う。2019/01/31
棕櫚木庵
27
私たちは,事故や戦争で死んだ人を数を数える.「10万人超? それは大変な惨劇だ」,「一人? 心配していたけど一人で済んだのは不幸中の幸い」・・・.しかし,犠牲者の一人一人は,それぞれの思いと個性を持って,つまり,一人の人格として生きていた.決して数に還元できない.そのことを強く訴えている本.いや,表面的には,級友一人一人に起こったことを,ひたすら記述しているだけ.しかし,それによって,死んで行った一人一人が“数”ではないことが深く心に刻まれた.2020/08/06
みゆき・K
21
生死を分けたものは山や建物、僅か100mの距離。著者の場合は下痢のため勤労作業を欠席したこと。生き残った著者が8年がかりで遺族の足跡を辿り、級友の死の様子を明らかにしたノンフィクション。途中何度も読むのが辛くなったが目を背けてはいけない。後世に残してほしい貴重な記録。ただし最終章とあとがきの靖国英霊問題に関しては、いささかうんざり。著者の主張は別な場所でやってほしかった。2021/08/30