出版社内容情報
国民的知識人、柳田国男。その思想の底流にはクロポトキンのアナーキズムが流れ込んでいた! 尊皇の官僚にして民俗学の創始者・柳田国男の思想を徹底検証する!
(すが) 秀実 「すが」は「いとへん」に「圭」[スガ ヒデミ]
木藤 亮太[キトウ リョウタ]
内容説明
「日本」民俗学を創始した柳田国男。その仕事は農政学、文学など多岐にわたる。夏目漱石と並び「国民的」知識人ともいうべき柳田は、吉本隆明、柄谷行人ら戦後の知識人からも熱心に論じられてきた。だが、若い時期に、アナキストたるクロポトキンから決定的な影響を受けたことは全く知られていない。これこそが、柳田の文学、農政学、民俗学をつなぐミッシングリンクであり、尊皇の国家官僚たる柳田の相貌も、そこから立ち現れてくる―。本書は、まったく新しい柳田像を提示した、画期的な書である。
目次
1 柳田国男をめぐる象徴闘争(民俗学・農政学・文学;保守主義者という立場;「日本」は存在しない)
2 帝国主義国家官僚のクロポトキン(文学と革命;民俗学と共産主義;農政学と天皇制)
3 法・民主主義・固有信仰(『山の人生』をめぐって;民主主義の条件;天皇制とアジア主義;祖先崇拝と祖先以前性―エピローグにかえて)
著者等紹介
〓秀実[スガヒデミ]
文芸評論家。1949年生まれ
木藤亮太[キトウリョウタ]
近代日本文学研究者。1990年生まれ。近畿大学文芸学部卒(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
アブーカマル
7
革あ革の補論にある8・15革命説とトーテムとタブーの話から柳田の祖先崇拝と天皇制の話へさらに深化した議論が読めて良かった。 日本人というより人類にとって祖先崇拝という信仰は分かち難いことは間違いない。しかしそれが柳田の言うように日本人にとって祖先崇拝と天皇制とが密接に結びついてると考えるのは天皇制を過大評価しすぎてらように思えるし、逆に柳田的常民が天皇制とまったく関わりのないところで存在してると考えるのも端的に誤りのように思える。2018/06/21
こややし
6
特に柳田「山の人生」の読解に始まるⅢ部が面白かった。小林秀雄以降の評価の仕方の延長上に、坂口安吾の文学のふるさとという批評を評価した柄谷行人の安吾論があるので、山の人生を言語論的転回のその先めざして読むってことは、小林以降の日本の批評の文脈を踏み越えて読むっていう凄い宣言であり、かつその宣言は、達成されてると読めた。柳田国男の根っこにクロポトキンの相互扶助論があったって事だけでも大発見だと思うが、その発見にとどまらず、アクチュアルな問題に繋げているのがさすがであった。2017/04/28
ミスター
3
保守派が幻視するナショナリズムはもはやリアリティを持ち得ないものである。他方でリベラルがいう市民社会とは天皇と結託するしかない。そう考えたとき残された道は架空の党を「故郷」の代わりにした憲法9条と天皇制解体を掲げる反市民社会的な共産主義のテーゼを丸呑みする保守になるわけだが、それって保守革命では?と再読して思った。そう考えたとき花田清輝の柳田國男の導入はおかしくないと思う。なぜなら花田清輝が行おうとしていた「運動」とは政治と芸術の前衛運動だからだ。その意味ではベンヤミンと同じ政治の芸術化問題だったはずだ。2020/07/05
kentaro mori
2
⚫︎柳田における常民(農民)や米の物神化は、きわめて意図的なフィクションであったということである。[•••]柳田の言う「常民」なるものは、近代の農民像の理念型-それは、おおむね「国民」と同義である-を過去にまで投影して形成されたイメージである。それは官僚として必要な政治的作業であった。2024/03/31
罵q
2
天皇制と相互扶助の結びつきを柳田に見出し、ひいては本邦の「アナキズム」/社会主義が天皇制へと収斂されていく過程。「転向」を世界的な問題系として捉えるエピローグが面白かった。ひじょうに示唆に富んだ書物ではあるものの、膨大な資料を丹念に追跡する読書はやはり労力を費やす。それを踏まえても尚収穫的な一冊 2018/06/25