出版社内容情報
京都とは「付かず離れず」。必要以上に京都と関わりを持とうとしなかった信長。洛中の宿所の変遷から京都と信長との関係性を考察。〈信長は、「京都ぎらい」だった?〉
〈京都とは付かず離れず。必要以上に京都と関わりを持とうとしなかった信長の姿〉
織田信長は永禄11年(1568)、足利義昭を奉じて上洛します。これは有名な事柄ですが、その後、信長は京都を拠点に指揮をとっていた訳ではなく、岐阜、あるいは安土に往復し、むしろ京都に滞在していた期間は比較的限られています。しかも、京都に来るたびに、その宿所は点々としていました。本書では、『信長公記』など編纂物の史料には極力頼らず、公家の日記などの当時の史料を通して信長の宿所を丁寧に追うことによって、京都という都市と信長との関係性を考察します。必要以上に京都と関わりを持とうとしなかった信長の姿が浮き彫りになってきます。
河内将芳[カワウチマサヨシ]
著・文・その他
内容説明
信長は、「京都ぎらい」だった?必要最低限以上に京都には滞在しようとしなかった織田信長。岐阜や安土と往復し、入洛のたびに「宿所」を定めて滞在したが、その場所も一定ではなかった。信長の「宿所」の変遷から、京都との関係性を読み解く。足利義昭を奉じて上洛した永禄十一年(一五六八)から、本能寺で非業の最期を遂げる天正十年(一五八二)までの、洛中の宿所の一覧「信長在京表」も掲載。
目次
第1章 「武家御用」の時代(永禄十一年~元亀四年)(「武家」足利義昭のために(永禄十一年~永禄十三年)
京都と元亀争乱(元亀元年~元亀四年))
第2章 「禁中守護」の時代(天正元年~天正九年)(「禁中」を守護する右大将(天正元年~天正四年)
京都と安土の往復(天正五年~天正九年))
著者等紹介
河内将芳[カワウチマサヨシ]
1963年、大阪府生まれ。奈良大学文学部史学科教授。京都府立大学文学部文学科を卒業後、甲南高等学校・中学校教諭。その間に京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了、京都大学博士(人間・環境学)取得。京都造形芸術大学芸術学部歴史遺産学科准教授を経て、現職。日本中世史専攻。中世後期の都市社会史を中心に研究を進めている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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