宿所の変遷からみる 信長と京都

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  • サイズ A5判/ページ数 168p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784473042774
  • NDC分類 216.2
  • Cコード C0021

出版社内容情報

京都とは「付かず離れず」。必要以上に京都と関わりを持とうとしなかった信長。洛中の宿所の変遷から京都と信長との関係性を考察。〈信長は、「京都ぎらい」だった?〉
〈京都とは付かず離れず。必要以上に京都と関わりを持とうとしなかった信長の姿〉

織田信長は永禄11年(1568)、足利義昭を奉じて上洛します。これは有名な事柄ですが、その後、信長は京都を拠点に指揮をとっていた訳ではなく、岐阜、あるいは安土に往復し、むしろ京都に滞在していた期間は比較的限られています。しかも、京都に来るたびに、その宿所は点々としていました。本書では、『信長公記』など編纂物の史料には極力頼らず、公家の日記などの当時の史料を通して信長の宿所を丁寧に追うことによって、京都という都市と信長との関係性を考察します。必要以上に京都と関わりを持とうとしなかった信長の姿が浮き彫りになってきます。

河内将芳[カワウチマサヨシ]
著・文・その他

内容説明

信長は、「京都ぎらい」だった?必要最低限以上に京都には滞在しようとしなかった織田信長。岐阜や安土と往復し、入洛のたびに「宿所」を定めて滞在したが、その場所も一定ではなかった。信長の「宿所」の変遷から、京都との関係性を読み解く。足利義昭を奉じて上洛した永禄十一年(一五六八)から、本能寺で非業の最期を遂げる天正十年(一五八二)までの、洛中の宿所の一覧「信長在京表」も掲載。

目次

第1章 「武家御用」の時代(永禄十一年~元亀四年)(「武家」足利義昭のために(永禄十一年~永禄十三年)
京都と元亀争乱(元亀元年~元亀四年))
第2章 「禁中守護」の時代(天正元年~天正九年)(「禁中」を守護する右大将(天正元年~天正四年)
京都と安土の往復(天正五年~天正九年))

著者等紹介

河内将芳[カワウチマサヨシ]
1963年、大阪府生まれ。奈良大学文学部史学科教授。京都府立大学文学部文学科を卒業後、甲南高等学校・中学校教諭。その間に京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了、京都大学博士(人間・環境学)取得。京都造形芸術大学芸術学部歴史遺産学科准教授を経て、現職。日本中世史専攻。中世後期の都市社会史を中心に研究を進めている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

浅香山三郎

16
近年の研究成果に触発され、また同時期の史料の読み込みを通じて、信長にとつての京都の位置づけを再考する。信長が二条殿御宿所を除き最後迄、京都における自邸をもたず、寺院への寄宿を主にしてゐたことなど、長居する場ではないが、重視せざるを得ない場所としての京都の位置づけが明らかにされる。京都での天皇や公家衆との付き合ひの煩わしさからか、結構ドライに接してゐたことなどが興味深い。註に詳しく、参考文献も丁寧なので、この頃の京都のことを調べる際にも度々参照しさうだ。2018/11/18

chang_ume

14
とても面白かった。織田信長の在京時「宿所」の検討を通して、信長と京都の関係、足利将軍・天皇との関係、さらには戦国期京都の空間復元が語られるという、一粒で何度もおいしい一冊。抑えた筆致ながら、史料読解を通じた著者の感慨もうかがえて(在京時信長の公家への恒例化した塩対応など)、歴史家のまなざしをたしかに感じる内容です。果たして信長にとって、「京都」とは何だったのか。本書を通じて、信長の京都像そして「天下」像は、最大限の敬意を払いながらも、あくまで仮想的な理念(あるいはアイドル的な存在)に近かったのかと感じる。2020/02/02

うしうし

10
河内センセの新刊。カラー図版も多く、手に取りやすい体裁であるため、一般的な概説であろうと思われたが、予測に反して専門的で突っ込んだ内容だった。『信長公記』はあくまでも参考程度で、公家の日記などの同時代史料から、信長の京都での居所を年代的に検討する。信長は正月を京都では過ごしておらず、「必要最低限以上に京都には滞在しようとしなかった」とし、「京都の外にあたる近江国安土から、いわゆる天下一統をめざそうとしていた」(p160)政治姿勢が鮮明となる。基礎資料となる「信長在京表」は同時代史料のみを参照して2019/07/02

アメヲトコ

10
『信長公記』ではなく極力同時代史料を駆使して信長の京都での動向を追い、信長にとっての京都とはどのような都市であったのかを考察した一冊。畿内文化圏に育った人間であるがゆえの信長の京都コンプレックスが垣間見られるのが面白いです。戦国京都の都市空間における個々の場所の性格にこだわり、最新の発掘調査状況と現地取材もなされているのもいい。2018/11/22

とりもり

8
信長が京都に居宅を持たず、時代による変遷はあるものの、妙覚寺、相国寺、二条殿などに寄宿していたことを同時代の記録から読み解いていく。正月は岐阜、安土て過ごしており(京都には一度もいない!)、信長の京都観がよく出ているのではないか。最後に御屋敷の普請をした本能寺が終焉の地となったことにも、何か巡り合わせを感じる。本書の趣旨とは離れるが、もう少し本能寺について触れて欲しかった。情報がほとんどないのかもしれないけど、やっぱりそこが歴史の焦点だからねぇ。★★★☆☆2018/12/30

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