内容説明
右の画をご覧いただきたい。このベッドの上で力道山は、臨終(いまわ)の際に親指と小指を短く折り「三本の指」で何かを言い遺そうとした。この三本の指で何を言いたかったのか?ある人は「やり残した夢が三つあったんじゃないか」と言い、力道山とタッグを組んでいた豊登は「芳の里や吉村道明と三人で力を合わせ、プロレスの火を決して絶やすなと告げようとしたのだ」と説いた。また、敬子夫人は「千栄子と義浩、光雄の三人の子供たちを頼む」ということかと思い、「二つに分断された祖国の北朝鮮と韓国、そして日本の三国の友好を願ったのではないか」とも推測してみたという。力道山の「三本の指」に秘められた謎―著者・基が、新刊「昭和のスーパースター力道山」で、その謎を読み解く。
目次
力道山が遺した功績―「謝恩の碑」に刻まれた不滅の偉業
日米初の“宇宙中継(衛星中継)”で伝えられた「ケネディ大統領暗殺」の訃報
大統領暗殺五日後に見た悪夢―赤坂のナイトクラブ『ニュー・ラテンクォーター』の悲劇
傷跡は二センチほどで、小腸まで突き抜けていた
再手術―ストレッチャーで運ばれながら敬子夫人に「俺は死にたくない」
諸種の手当の甲斐もなく午後九時五十分、不幸な転帰となる―敬子夫人は二二歳で未亡人に
力道山年譜―出生、角界入り、自らマゲを切り廃業
プロレスに転向―単身アメリカへ渡り凱旋帰国
シャープ兄弟を迎え、日本で初めてのプロレス国際試合
力道山対木村政彦―昭和巌流島の決戦
対キング・コング、ルー・テーズ戦からフレッド・ブラッシー、ザ・デストロイヤー戦まで
力道山が見せた涙―敬子夫人が語る「素顔の力道山」
マスメディアに見る力道山の真実(パート1)
マスメディアに見る力道山の真実(パート2)
力道山のタッグ・パートナー、遠藤幸吉氏に聞いた「日本プロレスの原点」
『ニュー・ラテンクォーター』のオーナー山本信太郎氏に聞く「力道山“刺傷事件”」の真実
吉村義雄氏が聞き取った「最期の言葉」 力道山は“三本の指”で何を伝えたかったのか?
著者等紹介
基佐江里[モトイサエサト]
1946年1月、満蒙開拓移民の子として中国遼寧省に生まれ、鹿児島県与論島で育つ。1961年3月与論中学を卒業後、集団就職で上京。神奈川工業高等学校定時制電気科を経て日本大学文理学部哲学科に学び、同大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了。転職を重ねたのち編集者生活を経てフリーに。がん患者向けの医療情報誌『月刊がん もっといい日』『がんを治す完全ガイド』編集長などを経て2009年4月、株式会社蕗書房を設立。季刊『ライフライン21 がんの先進医療』を創刊、現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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藤中恭美