内容説明
熊襲・隼人の本拠、神武のふるさと、3世紀の南九州。日向・肥後・薩摩・大隅。
目次
1 邪馬台国時代前後の南九州とその地域間関係
2 花弁状間仕切り住居と絵画土器の世界
3 二・三世紀の南九州における鉄の普及
4 南九州の出現期古墳
5 ヤマトからみた2・3世紀の南九州
6 二・三世紀の西日本太平洋航路―纒向式土器・絵画土器・纒向型古墳
7 シンポジウム・邪馬台国時代の南九州と近畿
著者等紹介
石野博信[イシノヒロノブ]
1933年生。関西学院大学卒業、関西大学大学院修了。現在、香芝市二上山博物館名誉館長。兵庫県立考古博物館館長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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のりきよ
1
弥生時代後期から薩摩は沖縄との交易で海輪を入手していたのかと思うと、当時の航海技術の高さをうかがい知れる。邪馬台国時代の熊本における鉄器の出土量が北九州以上だったとは意外だった。クマソを象徴する免田式土器の中心地であり、薩摩や大隅といった南九州への鉄器技術伝播の中継点でもあった肥後は、かなりの強国が存在した地域だったのだろう。しかし、そういった熊本の鉄器も3世紀中頃から突如姿を消したというのだから不思議だ。一体何があったというのか?2016/06/03
遊動する旧石器人
1
2011年7月17・18日に行われた、ふたかみ邪馬台国シンポジウム11「邪馬台国時代の南九州と近畿」の記録集。中園聡氏・北郷泰道氏・村上恭通氏・森岡秀人氏・柳沢一男氏・石野博信氏によるシンポジウム。土器・花弁状間仕切り住居址・鉄・出現期古墳・ヤマトとの関係・2,3世紀の太平洋航路が中心のお話。南九州は臼杵―八代構造線から南を基本的に指す。熊本県南部、日向、大隅、薩摩が入る。薩摩は西部と東部で文化的色彩が異なり、薩摩西部は西北九州と南西諸島を仲介する「貝の道」の担い手か。邪馬台国時代の南九州の文化はいかに。2014/05/22